『題目弥陀名号勝劣事』(佐前) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 問(と)ふ、世間の念仏者なんどの申す様(よう)は、此(こ)の身にて法華経なんどを破(は)する事は争(いか)でか候(そうろう)べき。念仏を申すも、と(疾)くと(疾)く極楽世界に参りて法華経をさとらんが為(ため)なり。又 或(あるい)は云(い)はく、法華経は不浄の身にては叶(かな)ひがた(難)し、恐れもあり。念仏は不浄をも嫌(きら)はねばこそ申し候(そうら)へなんど申すはいかん(如何)。答(こた)へて云はく、此の四・五年の程(ほど)は世間の有智無智(うちむち)を嫌はず、此の義をばさなんめりと思ひて過(す)ぐる程に、日蓮一代聖教(いちだいしょうぎょう)をあらあら引き見るに、いま(未)だ此の二義の文(もん)を勘(かんが)へ出(い)ださず。詮(せん)ずるところ、近来の念仏者並びに有智の明匠(めいしょう)とおぼ(思)しき人々の、臨終の思ふやうにならざるは是(これ)大謗法の故(ゆえ)なり。人ごとに念仏申して、浄土に生まれて法華経をさとらんと思ふ故に、穢土(えど)にして法華経を行ずる者をあざむ(欺)き、又 行ずる者もす(捨)てゝ念仏を申す心は出(い)で来(き)たるなりと覚(おぼ)ゆ。謗法の根本 此の義より出(い)でたり。
(平成新編0328~0329・御書全集0112・正宗聖典----・昭和新定[1]0506~0507・昭和定本[1]0295~0296)
[文永01(1264)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]