総(そう)じて如来の聖教(しょうぎょう)は、何(いず)れも妄語(もうご)の御坐(おわ)すとは承(うけたまわ)り候(そうら)はねども、再び仏教を勘(かんが)へたるに、如来の金言の中にも大小・権実(ごんじつ)・顕密(けんみつ)なんど申す事、経文より事 起こりて候(そうろう)。随(したが)って論師人師(にんし)の釈義(しゃくぎ)にあらあら見えたり。
(平成新編0302・御書全集1200・正宗聖典----・昭和新定[1]0471・昭和定本[1]0288)
[文永01(1264)年04月17日(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]