而(しか)るに日蓮二十七年が間、弘長元年辛酉(かのととり)五月十二日には伊豆国へ流罪、文永元年甲子(きのえね)十一月十一日頭(こうべ)にきず(傷)をかほ(蒙)り左の手を打ちを(折)らる。同じき文永八年辛未(かのとひつじ)九月十二日佐渡国へ配流(はいる)、又 頭(くび)の座に望む。其(そ)の外(ほか)に弟子を殺され、切られ、追ひ出され、くわれう(過料)等かず(数)をし(知)らず。仏の大難には及ぶか勝れたるか其(そ)れは知らず。竜樹・天親(てんじん)・天台・伝教は余に肩を並べがた(難)し。日蓮末法に出(い)でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄(だいこもう)の証明(しょうみょう)なり。仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提(いちえんぶだい)の内に仏の御言(みことば)を助けたる人 日蓮一人(いちにん)なり。
(平成新編1396~1397・御書全集1189~1190・正宗聖典0296~0297・昭和新定[3]2016~2017・昭和定本[2]1673)
[弘安02(1279)年10月01日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]