此(こ)の経の信心と申(もう)すは、少しも私なく経文の如(ごと)くに人の言を用(もち)ひず、法華一部に背(そむ)く事無(な)ければ仏に成(な)り候(そうろう)ぞ。仏に成り候事(こと)は別の様は候(そうら)はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱(とな)へ申して候(そうら)へば、天然と三十二相八十種好を備(そな)ふるなり。如我等無異(にょがとうむい)と申して釈尊程(ほど)の仏にやすやすと成り候(そうろう)なり。譬(たと)へば鳥の卵は始めは水なり、其(そ)の水の中より誰かなすともなけれども、觜(くちばし)よ目よと厳(かざ)り出(い)で来て虚空(こくう)にか(翔)けるが如し。我等(われら)も無明の卵にしてあさ(浅)ましき身なれども、南無妙法蓮華経の唱(とな)への母にあたゝ(暖)められまいらせて、三十二相の觜出(い)でて八十種好の鎧毛(よろいげ)生(お)ひそろ(揃)ひて実相真如の虚空にかけるべし。爰(ここ)を以(もっ)て経に云(い)はく「一切衆生は無明の卵に処(しょ)して智慧の口ばしなし。仏母の鳥は分段同居の古栖(ふるす)に返(かえ)りて、無明の卵をたゝ(叩)き破りて一切衆生の鳥をすだ(巣立)てて、法性真如の大虚にと(飛)ばしむ」と説けり取意。
(平成新編1460・御書全集1443・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]2096~2097・昭和定本[3]2125)
["弘安03(1280)年12月""弘安03(1280)年02月"(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]