今(いま)妙法蓮華経と申す人々はその心をし(知)らざれども、法華経の心をう(得)るのみならず、一代(いちだい)の大綱(たいこう)を覚(さと)り給(たま)へり。例(れい)せば一・二・三歳の太子(たいし)位(くらい)につき給ひぬれば、国は我が所領(しょりょう)なり。摂政(せっしょう)・関白已下(いか)は我が所従(しょじゅう)なりとは、し(知)らせ給はねども、なに(何)も此(こ)の太子の物なり。譬(たと)へば小児(しょうに)は分別(ふんべつ)の心な(無)けれども、悲母の乳を口にの(飲)みぬれば自然(じねん)に生長(せいちょう)するを、趙高(ちょうこう)が様(よう)に心おご(傲)れる臣下ありて、太子をあなづ(侮)れば身をほろぼす。諸経諸宗の学者等、法華経の題目ばか(計)りを唱(とな)ふる太子をあなづりて、趙高が如(ごと)くして無間地獄に堕(お)つるなり。又(また)法華経の行者の、心もし(知)らず題目計(ばか)りを唱ふるが、諸宗の智者におどされて退心(たいしん)をお(起)こすは、こがい(胡亥)と申せし太子が趙高におどされ、ころ(殺)されしが如(ごと)し。
(平成新編1187・御書全集1058・正宗聖典----・昭和新定[2]1746・昭和定本[2]1408~1409)
[建治03(1277)年11月28日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]