『秋元御書(筒御器抄)』(佐後) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 法華経を習(なら)ふには三の義有り。一には謗人(ぼうにん)、勝意比丘(しょういびく)・苦岸比丘(くがんびく)・無垢論師(むくろんし)・大慢婆羅門(だいまんばらもん)等が如(ごと)し。彼等は三衣を身に纏(まと)ひ、一鉢(いっぱち)を眼に当てゝ、二百五十戒を堅く持(たも)ちて、而(しか)も大乗の讐敵(しゅうてき)と成りて無間大城(むけんだいじょう)に堕(お)ちにき。今(いま)日本国の弘法(こうぼう)・慈覚・智証等は持戒は彼等が如く智慧は又彼(か)の比丘に異ならず。但(ただ)大日経真言第一、法華経第二第三と申す事、百千に一つも日蓮が申す様ならば無間大城にやおはすらん。此(こ)の事は申すも恐れあり。増して書き付くるまでは如何(いかん)と思ひ候(そうら)へども、法華経最第一と説かれて候に、是(これ)を二・三等と読まん人を聞いて、人を恐れ国を恐れて申さずば「是(これ)即(すなわ)ち彼が怨(あだ)なり」と申して、一切衆生の大怨敵(だいおんてき)なるべき由(よし)、経と釈とにの(載)せられて候へば申し候なり。人を恐れず代(よ)を憚(はばか)らずと云(い)ふ事「我不愛身命(がふあいしんみょう)、但惜無上道(たんじゃくむじょうどう)」と申すは是(これ)なり。不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の悪口(あっく)杖石(じょうしゃく)も他事(たじ)に非(あら)ず、世間を恐れざるに非ず。唯(ただ)法華経の責(せ)めの苦(ねんごろ)なればなり。例(れい)せば祐成(すけなり)・時宗(ときむね)が大将殿の陣の内を簡(えら)ばざりしは、敵(かたき)の恋しく恥の悲しかりし故(ゆえ)ぞかし。此(これ)は謗人なり。
(平成新編1449~1450・御書全集1074・正宗聖典----・昭和新定[3]2080・昭和定本[2]1733~1734)
[弘安03(1280)年01月27日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]