爰(ここ)に貴辺(きへん)と日蓮とは師檀(しだん)の一分(いちぶん)なり。然(しか)りと雖(いえど)も有漏(うろ)の依身(えしん)は国主に随(したが)ふ故に此(こ)の難に値(あ)わんと欲(ほっ)するか。感涙(かんるい)押さへ難(がた)し。何(いず)れの代(よ)にか対面を遂(と)げんや。唯(ただ)一心に霊山浄土(りょうぜんじょうど)を期(ご)せらるべきか。設(たと)ひ身は此の難に値ふとも心は仏心に同じ。今生(こんじょう)には修羅道に交(まじ)はるとも後生(ごしょう)は必ず仏国に居(こ)せん。恐々謹言。
(平成新編1564・御書全集1069・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]2238・昭和定本[2]1876)
[弘安04(1281)年閏07月01日(佐後)]
[古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]