御法門の事委(くわ)しく承(うけたまわ)り候ひ畢(おわ)んぬ。法華経の功徳と申すは唯仏与仏の境界、十方分身の智慧も及ぶか及ばざるかの内証なり。されば天台大師も妙の一字をば、妙とは妙は不可思議に名づくと釈(しゃく)し給ひて候なるぞ。前々(さきざき)御存知の如し。然(しか)れども此の経に於(おい)て重々の修行分かれたり。天台・妙楽・伝教等計(ばか)りし(知)らせ給ふ法門なり。就中(なかんずく)伝教大師は天台の後身(ごしん)にて渡らせ給へども、人の不審を晴らさんとや思(おぼ)し食(め)しけん、大唐へ決(けつ)をつかはし給ふ事多し。されば今経の所詮は十界互具・百界千如・一念三千と云ふ事こそゆゝしき大事にては候なれ。此の法門は摩訶止観と申す文にしる(記)されて候。
(平成新編0668~0669・御書全集0892・正宗聖典----・昭和新定[2]0986・昭和定本[1]0730)
[文永10(1273)年05月28日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]