『治病大小権実違目(治病抄・富木入道殿御返事)』(佐後)[真跡・古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 疑って云はく、汝(なんじ)が申すがごとくならば、此の国法華経の行者をあだむ故に、善神此の国を治罰する等ならば、諸人の疫病而(しか)るべし。何ぞ汝が弟子等又や(病)み死ぬるや。答へて云はく、汝が不審(ふしん)最も其の謂(いわ)れ有るか。但し一方を知って一方を知らざるか。善と悪とは無始よりの左右の法なり。権教並びに諸宗の心は善悪(ぜんなく)は等覚に限る。若(も)し爾(しか)らば等覚までは互(たが)ひに失有るべし。法華宗の心は一念三千、性悪(しょうあく)・性善(しょうぜん)は妙覚の位に猶(なお)備(そな)はれり。元品(がんぽん)の法性(ほっしょう)は梵天・帝釈等と顕(あら)はれ、元品の無明(むみょう)は第六天の魔王と顕はれたり。善神は悪人をあだむ、悪鬼は善人をあだむ。末法に入(い)りぬれば自然(じねん)に悪鬼は国中に充満せり。瓦石草木(がしゃくそうもく)の並び滋(しげ)きがごとし。善鬼は天下に少なし。聖賢まれなる故なり。此の疫病は念仏者・真言師・禅宗・律僧等よりも、日蓮が方にこそ多くや(病)み死ぬべきにて候か。いかにとして候やらむ、彼等よりもすく(少)なくや(病)み、すくなく死に候は不思議にをぼ(覚)へ候。人のすくなき故か。又御信心の強盛(ごうじょう)なるか。
(平成新編1237・御書全集0997・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1842~1843・昭和定本[2]1520)
[弘安01(1278)年06月26日"弘安05(1282)年06月26日"(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・日時筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]