『上野殿母尼御前御返事(上野殿母御前御返事・中陰書)』(佐後)[真跡(断片)] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 此の法華経の始めに無量義経と申す経おはします。譬(たと)へば大王の行幸(みゆき)の御時、将軍前陳(ぜんちん)して狼藉(ろうぜき)をしづむるが如し。其の無量義経に云はく「四十余年には未(いま)だ真実を顕(あら)はさず」等云云。此は将軍が大王に敵する者を大弓を以て射(うち)はらひ、又太刀(たち)を以て切りすつるが如し。華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経(かんぎょう)の念仏者等・大日経の真言師等の者共(ものども)が、法華経にしたが(従)はぬをせ(攻)めなびかす利剣の勅宣(ちょくせん)なり。譬へば貞任(さだとう)を義家(よしいえ)が責め、清盛を頼朝の打ち失(う)せしが如し。無量義経の四十余年の文は不動明王(ふどうみょうおう)の剣索・愛染明王(あいぜんみょうおう)の弓箭(きゅうせん)なり。故南条五郎殿の死出の山三途(さんず)の河を越し給はん時、煩悩(ぼんのう)の山賊・罪業の海賊を静めて、事故(ことゆえ)なく霊山浄土へ参らせ給ふべき御供の兵者は、無量義経の四十余年未顕真実(しじゅうよねんみけんしんじつ)の文ぞかし。
(平成新編1508~1509・御書全集1569・正宗聖典ーーーー・昭和新定[3]2167~2168・昭和定本[2]1811)
[弘安03(1280)年10月24日(佐後)]
[真跡・蒲郡長存寺外二ヶ所(10%以上40%未満現存)]
[※sasameyuki※]