而(しか)るに此の三十余年の三災七難等は一向に他事を雑(まじ)へず。日本一同に日蓮をあだみて、国々・郡々・郷々・村々・人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚(だいしんに)を起こせり。見思未断(けんじみだん)の凡夫の元品(がんぽん)の無明(むみょう)を起こす事此始めなり。神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし。但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る。結句は勝負を決せざらむ外(ほか)は此の災難止み難(かた)かるべし。止観の十境十乗の観法は天台大師説き給ひて後、行ずる人無し。妙楽・伝教の御時少し行ずといへども敵人ゆわ(弱)きゆへにさてすぎぬ。止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障(さわ)りにはあらず。今日蓮が時(とき)具(つぶさ)に起これり。又天台・伝教等の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさ(勝)りたり。一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊(こと)なりことなりと、御臨終(ごりんじゅう)の御時は御心へ(得)有るべく候。恐々謹言。
さへもん殿の便宜の御かたびら(帷)給(た)び候ひ了(おわ)んぬ。今度の人々のかたがたの御さい(斎)ども、左衛門尉殿の御日記のごとく給び了んぬと申させ給(たま)ひ候へ。太田入道殿のかたがたのもの、ときどの(富木殿)の日記のごとく給び候ひ了んぬ。此の法門のかたつら(片面)は左衛門尉殿にかきて候。こ(乞)わせ給ひて御らむ(覧)有るべく候。
(平成新編1238~1239・御書全集0998、0995・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]1845、1840・昭和定本[2]1522、1517)
[弘安01(1278)年06月26日"弘安05(1282)年06月26日"(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)、古写本・日時筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]