此(こ)の五義を知りて仏法を弘めば日本国の国師とも成るべきか。所以(ゆえ)に法華経は一切経の中の第一の経王(きょうおう)なりと知るは是(これ)教(きょう)を知る者なり。但し光宅(こうたく)の法雲(ほううん)、道場の慧観(えかん)等は涅槃経は法華経に勝れたりと。清涼山(しょうりょうざん)の澄観(ちょうかん)、高野(こうや)の弘法(こうぼう)等は華厳経(けごんきょう)・大日経等は法華経に勝れたりと。嘉祥寺(かじょうじ)の吉蔵(きちぞう)、慈恩寺の基法師(きほっし)等は般若(はんにゃ)・深密(じんみつ)等の二経は法華経に勝れたりといふ。天台山の智者大師(ちしゃだいし)只(ただ)一人のみ一切経の中に法華経を勝れたりと立つるのみに非(あら)ず、法華経に勝れる経之(これ)有りと云はん者を諫暁(かんぎょう)せよ、止(や)まずんば現世に舌口中に爛(ただ)れ後生は阿鼻地獄(あびじごく)に堕(だ)すべし等云云。此等の相違を能(よ)く能く之(これ)を弁(わきま)へたる者は教を知れる者なり。当世の千万の学者等一々之に迷へるか。若(も)し爾(しか)らば教を知れる者之少(すく)なきか。教を知れる者之無ければ法華経を読む者之無し。法華経を読む者之無ければ国師となる者無きなり。国師となる者無ければ国中の諸人一切経の大小権実顕密の差別に迷ふて、一人(いちにん)に於ても生死を離るゝ者之無く、結句(けっく)は謗法の者と成り、法に依って阿鼻地獄に堕する者は大地の微塵(みじん)よりも多く、法に依って生死を離るゝ者は爪上(そうじょう)の土よりも少なし。恐(おそ)るべし恐るべし。
(平成新編0271~0272・御書全集0440・正宗聖典ーーーー・昭和新定[1]0424~0425・昭和定本[1]0243~0244)
[弘長02(1262)年02月10日(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]