『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(佐後)[真跡] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 問うて曰(いわ)く、出処(しゅっしょ)既(すで)に之(これ)を聞く、観心の心如何(いかん)。答へて曰く、観心とは我が己心(こしん)を観じて十法界を見る、是(これ)を観心と云ふなり。譬(たと)へば他人の六根(ろっこん)を見ると雖(いえど)も、未だ自面(じめん)の六根を見ざれば自具(じぐ)の六根を知らず、明鏡(みょうきょう)に向かふの時始めて自具の六根を見るが如し。設(たと)ひ諸経の中に所々に六道(ろくどう)並びに四聖を載(の)すと雖も、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり。
 問うて曰く、法華経は何(いず)れの文ぞ、天台の釈は如何(いかん)。答へて曰く、法華経第一方便品に云はく「衆生をして仏知見を開かしめんと欲(ほっ)す」等云云。是(これ)は九界所具の仏界なり。寿量品に云はく「是(か)くの如く我成仏してより已来(このかた)甚(はなは)だ大(おお)いに久遠なり、寿命、無量阿僧祇劫、常住にして滅せず、諸の善男子、我本(もと)菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶(なお)未だ尽(つ)きず、復(また)上(かみ)の数に倍せり」等云云。此の経文は仏界所具の九界なり。経に云はく「提婆達多(だいばだった)、乃至天王如来(てんのうにょらい)」等云云。地獄界所具の仏界なり。経に云はく「一を藍婆(らんば)と名づけ、乃至汝等(なんだち)但(ただ)能(よ)く法華の名(みな)を護持する者は福量(はか)るべからず」等云云。是(これ)餓鬼界所具の十界なり。経に云はく「竜女、乃至成等正覚」等云云。此(これ)畜生界所具の十界なり。経に云はく「婆稚阿修羅王(ばじあしゅらおう)、乃至一偈一句を聞いて、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得(う)べし」等云云。修羅界所具の十界なり。経に云はく「若(も)し人仏(ほとけ)の為の故に、乃至皆已(すで)に仏道を成ず」等云云。此(これ)人界所具の十界なり。経に云はく「大梵天王、乃至我等も亦(また)是(か)くの如く、必ず当(まさ)に作仏(さぶつ)することを得べし」等云云。此天界所具の十界なり。経に云はく「舎利弗、乃至華光如来(けこうにょらい)」等云云。此声聞界所具の十界なり。経に云はく「其の縁覚(えんがく)を求むる者・比丘・比丘尼、乃至合掌し敬心(きょうしん)を以て具足の道を聞かんと欲す」等云云。此即(すなわ)ち縁覚界所具の十界なり。経に云はく「地涌千界、乃至真浄大法(しんじょうだいほう)」等云云。此即ち菩薩界所具の十界なり。経に云はく「或説己身或説他身(わくせっこしんわくせったしん)」等云云。即ち仏界所具の十界なり。
(平成新編0646~0647・御書全集0240・正宗聖典0144~0145・昭和新定[2]0959~0960・昭和定本[1]0704~0705)
[文永10(1273)年04月25日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]