『四条金吾釈迦仏供養事』(佐後)[真跡(断片)] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 御日記に云はく、毎年四月八日より七月十五日まで九旬が間、大日天子に仕(つか)へさせ給ふ事、大日天子と申すは宮殿七宝(しっぽう)なり。其の大きさは八百十六里(り)五十一由旬(ゆじゅん)なり。其の中に大日天子居し給ふ。勝・無勝と申して二人の后(きさき)あり。左右には七曜・九曜つらなり、前には摩利支(まりし)天女まします。七宝の車を八匹の駿馬(しゅんめ)にかけて、四天下(してんげ)を一日一夜にめぐり、四州の衆の眼目(げんもく)と成り給ふ。他の仏・菩薩・天子等は利生のいみじくまします事、耳にこれをきくとも愚眼(ぐげん)に未だ見えず。是(これ)は疑ふべきにあらず、眼前の利生なり。教主釈尊にましまさずば争(いか)でか是(か)くの如くあらたなる事候べき。一乗の妙経の力にあらずんば争でか眼前の奇異をば現ずべき。不思議に思ひ候。争でか此の天の御恩をば報(ほう)ずべきともとめ候に、仏法以前の人々も心ある人は、皆或は礼拝(らいはい)をまいらせ、或は供養を申し、皆しるしあり。又逆をなす人は皆ばつ(罰)あり。今内典(ないでん)を以てかんがへて候に、金光明経に云はく「日天子及以(および)月天子(がってんし)是(こ)の経を聞くが故に精気(しょうけ)充実す」等云云。最勝王経に云はく「此の経王の力に由(よ)って流暉(るき)四天下を遶(めぐ)る」等云云。当(まさ)に知るべし、日月天の四天下をめぐり給ふは仏法の力なり。彼の金光明経・最勝王経は法華経の方便なり。勝劣を論ずれば乳と醍醐(だいご)、金と宝珠との如し。劣なる経を食(め)しましまして尚四天下をめぐり給ふ。何(いか)に況(いわ)んや法華経の醍醐の甘味(かんみ)を嘗(な)めさせ給はんをや。故に法華経の序品には普香天子(ふこうてんし)とつらなりまします。法師品(ほっしほん)には阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)と記せられさせ給ふ、火持(かじ)如来是(これ)なり。其の上慈父よりあひつたはりて二代、我が身となりてとしひさし。争でかすてさせたまひ候べき。其の上日蓮も又此の天を恃(たの)みたてまつり、日本国にたてあひて数年なり。既に日蓮かちぬべき心地(ここち)す。利生のあらたなる事外にもとむべきにあらず。
 是(これ)より外に御日記たうと(貴)さ申す計りなけれども紙上に尽(つ)くし難(がた)し。なによりも日蓮が心にたっと(貴)き事候。父母御孝養の事、度々(たびたび)の御文に候上に、今日の御文なんだ(涙)更にとゞ(留)まらず。我が父母地獄にやをは(御坐)すらんとなげ(嘆)かせ給ふ事のあわ(哀)れさよ。仏の弟子の御中に目■(=牡-土+建)尊者(もっけんそんじゃ)と申しけるは、父をばきっせん(吉占)師子と申し、母をば青提女(しょうだいにょ)と申しけるが、餓鬼道にを(堕)ちさせ給ひけるを、凡夫にてをはしける時はしらせ給はざりければ、なげきもなかりける程に、仏の御弟子とならせ給ひて後、阿羅漢となりて天眼(てんげん)をも(以)て御らんありければ、餓鬼道におはしけり。是(これ)を御らんありて飲食(おんじき)をまいらせしかば、炎となりていよいよ苦をましさせまいらせ給ひしかば、いそぎはしりかへり、仏に此の由を申させ給ひしぞかし。爾(そ)の時の御心(みこころ)をおもひやらせ給へ。今貴辺は凡夫なり。肉眼(にくげん)なれば御らんなけれども、もしもさもあらばとなげ(嘆)かせ給ふ。こ(是)は孝養の一分なり。梵天・帝釈(たいしゃく)・日月・四天も定めてあはれとをぼさんか。華厳経に云はく「恩を知らざる者は多く横死(おうし)に遭(あ)ふ」等云云。観仏相海経に云はく「是(これ)阿鼻の因なり」等云云。今既に孝養の志あつし。定めて天も納受(のうじゅ)あらんか 是一。
 御消息(ごしょうそく)の中に申しあはさせ給ふ事、くはしく事の心を案ずるに、あるべからぬ事なり。日蓮をば日本国の人あだむ。是はひとへにさがみどの(相模殿)ゝあだ(怨)ませ給ふにて候。ゆへ(故)なき御政(まつ)りごとなれども、いまだ此の事にあはざりし時より、かゝる事あるべしと知りしかば、今更いかなる事ありとも、人をあだむ心あるべからずとをもひ候へば、此の心のいの(祈)りとなりて候やらん。そこばく(若干)のなん(難)をのがれて候。いまは事なきやうになりて候。日蓮がさどの国にてもかつ(餓)えし(死)なず、又これまで山中にして法華経をよみまいらせ候は、たれがたすけぞ。ひとへにとのゝ御たすけなり。又殿の御たすけはなにゆへぞとたづぬれば、入道殿の御故ぞかし。あら(顕)わにはし(知)ろしめ(食)さねども、定めて御いのりともなるらん。かうあるならば、かへりて又とのゝ御いのりとなるべし。父母の孝養も又彼の人の御恩ぞかし。かゝる人の御内(みうち)を如何(いか)なる事有ればとて、すてさせ給ふべきや。かれより度々すてられんずらんはいかゞすべき。又いかなる命になる事なりとも、すてまいらせ給ふべからず。上にひきぬる経文に不知恩の者は横死(おうし)有りと見えぬ。孝養の者は又横死有るべからず。鵜(う)と申す鳥の食する鉄(くろがね)はと(鎔)くれども、腹の中の子はとけず。石を食する魚あり、又腹の中の子はしなず。栴檀(せんだん)の木は火に焼けず、浄居(じょうご)の火は水に消へず。仏の御身をば三十二人の力士火をつけしかどもやけず。仏の御身よりいでし火は、三界の竜神(りゅうじん)雨をふらして消しゝかどもきえず。殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり。悪人にやぶらるゝ事かたし。もしやの事あらば、先生(せんじょう)に法華経の行者をあだみたりけるが今生(こんじょう)にむく(報)ふなるべし。此の事は如何なる山中海上にてものがれがたし。不軽菩薩の杖木(じょうもく)の責(せ)めも、目■(=牡-土+建)尊者(もっけんそんじゃ)の竹杖(ちくじょう)に殺されしも是(これ)なり、なにしにか歎かせ給ふべき。
 但し横難(おうなん)をば忍ぶにはしかじと見へて候。此の文御覧ありて後は、けっして百日が間をぼろげならでは、どうれい(同隷)ならびに他人と我が宅ならで夜中の御さかも(酒盛)りあるべからず。主のめ(召)さん時はひるならばいそぎまいらせ給ふべし。夜ならば三度までは頓病の由申させ給ひて、三度にすぎば下人又他人をかたらひて、つじ(辻)をみせなんどして御出仕あるべし。かうつゝ(慎)ませ給はんほどに、むこ(蒙古)人もよせなんどし候わば、人の心又さきにひ(引)きかへ候べし。かたきを打つ心とゞまるべし。申させ給ふ事は御あやま(過)ちありとも、左右(さう)なく御内(みうち)を出(い)でさせ給ふべからず。まして、な(無)からんにはなにとも人申せ、くるしからず、をもひのまゝに入道にもなりてをはせば、さきざきならばくるしからず。又身にも心にもあ(合)はぬ事あまた出来せば、なかなか悪縁度々来るべし。このごろは女は尼になりて人をはか(謀)り、男は入道になりて大悪をつくるなり。ゆめゆめあるべからぬ事なり。身に病なくともやいと(灸)を一二箇所やいて病の由あるべし。さわぐ事ありとも、しばらく人をもって見せをほせさせ給へ。
 事々くはしくはかきつくしがたし。此の故に法門もかき候はず。御経の事はすゞ(涼)しくなり候ひて、か(書)いてまいらせ候はん。恐々謹言。
(平成新編0993~0996・御書全集1145~1148・正宗聖典----・昭和新定[2]1476~1481・昭和定本[2]1184~1189)
[建治02(1276)年07月15日(佐後)]
[真跡・鎌倉妙本寺 身延曾存(10%未満現存)]
[※sasameyuki※]