『如説修行抄(隨身不離抄)』(佐後)[古写本] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 夫(それ)以(おもんみ)れば末法流布の時、生を此の土に受け此の経を信ぜん人は、如来の在世より猶多怨嫉(ゆたおんしつ)の難甚(はなは)だしかるべしと見えて候なり。其の故は在世は能化の主は仏なり、弟子又大菩薩・阿羅漢なり。人天・四衆・八部・人非人等なりといへども、調機調養(じょうきじょうよう)して法華経を聞かしめ給ふ。尚(なお)猶多怨嫉なり。何(いか)に況(いわ)んや末法今時は教機時刻当来(とうらい)すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり。弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり。故に善師をば遠離し悪師には親近(しんごん)す。其の上真実の法華経の如説修行の行者の弟子檀那とならんには三類の敵人決定(けつじょう)せり。されば此の経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし、況滅度後(きょうめつどご)の大難の三類甚(はなは)だしかるべしと。然(しか)るに我が弟子等の中にも兼ねて聴聞せしかども、大小の難来たる時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ。又兼ねて申さゞりけるか、経文を先として猶多怨嫉況滅度後と朝夕教へし事は是(これ)なり。予が或は所を追はれ或は疵(きず)を蒙り、或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるゝを見聞すとも、今始めて驚くべきに非(あら)ざるものをや。
(平成新編0670・御書全集0501・正宗聖典ーーーー・昭和新定[2]0987~0988・昭和定本[1]0731~0732)
[文永10(1273)年05月(佐後)]
[古写本・日尊筆 茨城猿島富久成寺]
[※sasameyuki※]