又此の経を経のごとくにと(説)く人に値(あ)ふことが難きにて候。設(たと)ひ一眼の亀の浮木には値ふとも、はちす(蓮)のいと(糸)をもって須弥山(しゅみせん)をば虚空にか(掛)くとも、法華経を経のごとく説く人にあ(値)ひがたし。されば慈恩大師と申せし人は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の御弟子太宗(たいそう)皇帝の御師なり。梵漢を空(そら)にう(浮)かべ、一切経を胸にたゝ(湛)へ、仏舎利を筆のさき(先)より雨(ふ)らし、牙より光を放ち給ひし聖人なり。時の人も日月のごとく恭敬(くぎょう)し、後の人も眼目とこそ渇仰(かつごう)せしかども、伝教大師これをせ(責)め給ふには「法華経を讃(ほ)むと雖(いえど)も還って法華の心を死(ころ)す」等云云。言ふは彼の人の心には法華経をほ(讃)むとをも(思)へども、理のさ(指)すところは法華経をころす人になりぬ。善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)は月支国うぢゃうな(烏杖那)国の国王なり。位をす(捨)て出家して天竺五十余の国を修行して顕密二道をきわ(極)め、後には漢土にわた(渡)りて玄宗(げんそう)皇帝の御師となる。尸那(しな)日本の真言師、誰か此の人のなが(流)れにあらざる。かゝるたうと(貴)き人なれども一時に頓死(とんし)して閻魔(えんま)のせ(責)めにあわせ給ふ。いかなりけるゆへ(故)とも人し(知)らず。日蓮此をかんが(考)へたるに、本は法華経の行者なりしが、大日経を見て法華経にまさ(勝)れりといゐしゆえなり。されば舎利弗・目連等が三五の塵点劫を経(へ)しことは十悪五逆の罪にもあらず、謀反(むほん)八虐(はちぎゃく)の失(とが)にてもあらず。但(ただ)悪知識に値(あ)ひて法華経の信心をやぶりて権経にうつりしゆへなり。天台大師釈して云はく「若し悪友に値(あ)へば則(すなわ)ち本心を失ふ」云云。本心と申すは法華経を信ずる心なり。失ふと申すは法華経の信心を引きかへて余経へうつる心なり。されば経文に云はく「然(しか)も良薬(ろうやく)を与ふるに而(しか)も肯(あ)へて服せず」等云云。天台の云はく「其の心を失ふ者は良薬を与ふと雖(いえど)も而(しか)も肯(あ)へて服せず。生死に流浪して他国に逃逝(じょうぜい)す」云云。されば法華経を信ずる人のをそ(恐)るべきものは、賊人・強盗・夜打・虎狼(ころう)・師子等よりも、当時の蒙古のせ(攻)めよりも法華経の行者をなや(悩)ます人々なり。
此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属(けんぞく)なり。六道の中に二十五有と申すろう(牢)をかま(構)へて一切衆生を入るゝのみならず、妻子(めこ)と申すほだし(絆)をうち、父母主君と申すあみ(網)をそら(空)にはり、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の酒をの(飲)ませて仏性の本心をたぼら(誑)かす。但(ただ)あく(悪)のさかな(肴)のみをすゝめて三悪道の大地に伏臥(ふくが)せしむ。たまたま善の心あれば障碍(しょうげ)をなす。法華経を信ずる人をばいかにもして悪へ堕とさんとをも(思)うに、叶はざればやうやくすか(賺)さんがために相似せる華厳経へを(堕)としつ、杜順(とじゅん)・智儼(ちごん)・法蔵・澄観等これなり。又般若経へをとしつ、嘉祥(かじょう)・僧詮(そうせん)等これなり。又深密経へ堕としつ、玄奘(げんじょう)・慈恩此なり。又大日経へ堕としつ、善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等これなり。又禅宗へ堕としつ、達磨・慧可等是なり。又観経(かんぎょう)へすかしをとす悪友は、善導・法然是なり。此は第六天の魔王が智者の身に入って善人をたぼらかすなり。法華経第五の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり。設(たと)ひ等覚の菩薩なれども元品(がんぽん)の無明と申す大悪鬼身に入って、法華経と申す妙覚の功徳を障(ささ)へ候なり。何に況(いわ)んや其の已下(いげ)の人々にをいてをや。
又第六天の魔王或は妻子の身に入って親や夫をたぼらかし、或は国王の身に入って法華経の行者ををど(脅)し、或は父母の身に入って孝養の子をせ(責)むる事あり。悉達太子は位を捨てんとし給ひしかば羅■(=眠-民+侯)羅(らごら)はらまれてをはしませしを、浄飯王(じょうぼんのう)此の子生まれて後出家し給へといさ(諫)められしかば、魔が王子ををさ(抑)へて六年なり。舎利弗は昔禅多羅仏(ぜんたらぶつ)と申せし仏の末世に、菩薩の行を立てゝ六十劫を経たりき。既に四十劫ちかづきしかば百劫にてあるべかりしを、第六天の魔王、菩薩の行の成ぜん事をあぶ(危)なしとや思ひけん、婆羅門となりて眼を乞ひしかば相違なくと(取)らせたりしかども、其れより退する心出(い)で来(き)て舎利弗は無量劫が間無間地獄に堕ちたりしぞかし。大荘厳仏(だいしょうごんぶつ)の末の六百八十億の檀那等は、苦岸(くがん)等の四比丘にたぼらかされて、普事比丘を怨(あだ)みてこそ大地微塵劫(みじんこう)が間、無間地獄を経(へ)しぞかし。師子音王仏(ししおんのうぶつ)の末の男女等は、勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑ふてこそ、無量劫が間地獄に堕ちつれ。今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり。法華経には「如来の現在すら猶(なお)怨嫉(おんしつ)多し。況(いわ)んや滅度の後をや」と。又云はく「一切世間怨多くして信じ難し」と。
(平成新編0979~0981・御書全集1080~1082・正宗聖典----・昭和新定[2]1174~1177・昭和定本[1]0921~0924)
[建治02(1276)年04月"文永12(1275)年04月16日"(佐後)]
[真跡・富士大石寺外五ヶ所(40%以上70%未満現存)]
[※sasameyuki※]