『種々御振舞御書』(佐後)[曾存] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 さてかへ(帰)りき(聞)ゝしかば、同四月十日より阿弥陀堂法印(ほういん)に仰(おお)せ付けられて雨の御いの(祈)りあり。此の法印は東寺第一の智人、をむろ(御室)等の御師、弘法大師・慈覚大師・智証大師の真言の秘法を鏡にかけ、天台・華厳等の諸宗をみな胸にうかべたり。それに随(したが)ひて十日よりの祈雨に十一日に大雨下りて風ふかず、雨しづかにて一日一夜ふりしかば、守殿(こうどの)御感のあまりに、金三十両、むま(馬)、やうやうの御ひ(引)きで(出)物ありときこふ。鎌倉中の上下万人、手をたゝき口をすくめてわら(笑)うやうは、日蓮ひが(僻)法門申して、すでに頸(くび)をきられんとせしが、とかう(左右)してゆり(免)たらば、さではなくして念仏・禅をそしるのみならず、真言の密教なんどをもそしるゆへに、かゝる法のしるし(験)めでたしとのゝしりしかば、日蓮が弟子等けう(興)さめて、これは御あら義と申せし程に、日蓮が申すやうは、しばしま(待)て、弘法大師の悪義まことにて国の御いの(祈)りとなるべくば、隠岐法王こそいくさ(軍)にか(勝)ち給はめ。をむろ(御室)最愛の児(ちご)せいたか(勢多迦)も頸(くび)をきられざるらん。弘法の法華経を華厳経にをと(劣)れりとかける状は、十住心論(じゅうじゅうしんろん)と申す文にあり。寿量品の釈迦仏をば凡夫なりとしる(記)されたる文は秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)に候。天台大師をぬす(盗)人とかける状は二教論(にきょうろん)にあり。一乗法華経をとける仏をば、真言師のはき(履)きものとりにも及ばずとかける状は、正覚房(しょうかくぼう)が舎利講式にあり。かゝる僻事(ひがごと)を申す人の弟子阿弥陀堂の法印が日蓮にか(勝)つならば、竜王は法華経のかたきなり、梵釈(ぼんしゃく)四王にせめられなん。子細(しさい)ぞあらんずらんと申せば、弟子どものいはく、いかなる子細のあるべきぞと、をこづき(嘲笑)し程に、日蓮が云はく、善無畏(ぜんむい)も不空(ふくう)も雨のいのりに雨はふ(降)りたりしかども、大風吹きてありけるとみ(見)ゆ。弘法は三七日すぎて雨をふらしたり。此等は雨ふらさぬがごとし。三七二十一日にふらぬ雨やあるべき。設ひふ(降)りたりともなんの不思議かあるべき。天台のごとく、千観(せんかん)なんどのごとく、一座なんどこそたうと(尊)けれ。此は一定やう(様)あるべしと、いゐもあはせず大風吹き来たる。大小の舎宅・堂塔・古木・御所等を、或は天に吹きのぼせ、或は地に吹きいれ、そらには大なる光物とび、地には棟梁みだれたり。人々をもふ(吹)きころ(殺)し、牛馬をゝ(多)くたふ(倒)れぬ。悪風なれども、秋は時なればなをゆる(許)すかたもあり。此(これ)は夏四月なり、其の上、日本国にはふかず、但(ただ)関東八箇国なり。八箇国にも武蔵・相模の両国なり。両国の中には相州につよくふく。相州にもかまくら(鎌倉)、かまくらにも御所・若宮・建長寺・極楽寺等につよくふけり。たゞ事ともみへず。ひとへにこのいの(祈)りのゆへ(故)にやとをぼ(覚)へて、わらひ口すくめせし人々も、けう(興)さめてありし上、我が弟子どもゝあら不思議やと舌をふるう。
(平成新編1068~1069・御書全集0921~0922・正宗聖典----・昭和新定[2]1592~1594・昭和定本[2]0980~0982)
[建治02(1276)年"建治01(1275)年"(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]