鵞目(がもく)員数(いんずう)の如く給(た)び候ひ了(おわ)んぬ。御志申し遂げ難く候。法門の事は先度四条三郎左衛門尉殿に書持せしむ。其の書能(よ)く能く御覧有るべし。
粗(ほぼ)経文を勘(かんが)へ見るに日蓮が法華経の行者たる事疑ひ無きか。但し今に天の加護を蒙(こうむ)らざるは、一には諸天善神此の悪国を去る故か。二には善神法味を味(あじ)はゝざる故に威光勢力無きか。三には大悪鬼三類の心中に入り梵天・帝釈も力及ばざるか等、一々の証文・道理を追って之を進ぜしむべし。但生涯本より思ひ切り了(おわ)んぬ。今に翻返(ひるがえ)ること無く其の上又違恨(いこん)無し。諸の悪人は又善知識なり。摂受・折伏の二義は仏説に任(まか)す。敢(あ)へて私曲に非ず。万事霊山浄土を期す。恐々謹言。
日蓮が臨終一分も疑ひ無し。頭を刎(は)ねらるゝの時は殊(こと)に喜悦(きえつ)有るべく候。大賊(だいぞく)に値(あ)ふて大毒を宝珠(ほうじゅ)に易(か)ふと思ふべきか。
(平成新編0584・御書全集0962・正宗聖典----・昭和新定[1]0844~0845・昭和定本[1]0619~0620)
[文永09(1272)年04月10日(佐後)]
[真跡・中山法華経寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]