噫(ああ)、過ぎにし方の程なきを以て知んぬ、我等が命今幾程(いくほど)もなき事を。春の朝(あした)に花をながめし時、ともな(伴)ひ遊びし人は、花と共に無常の嵐に散りはてゝ、名のみ残りて其の人はなし。花は散りぬといへども又こん春も発(ひら)くべし。されども消えにし人は亦(また)いかならん世にか来たるべき。秋の暮れに月を詠(なが)めし時、戯(たわむ)れむつびし人も、月と共に有為(うい)の雲に入りて後、面影(おもかげ)ばかり身にそひて物いふことなし。月は西山に入るといへども亦こん秋も詠むべし。然れどもかく(隠)れし人は今いづくにか住みぬらん、おぼつかなし。無常の虎のなく音(こえ)は耳にちかづくといへども聞いて驚くことなし。屠所(としょ)の羊は今幾日か無常の道を歩みなん。
(平成新編1457・御書全集1440・正宗聖典----・昭和新定[3]2091~2092・昭和定本[3]2120~2121)
["弘安03(1280)年12月""弘安03(1280)年02月"(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]