『法華題目抄(法華経題目抄)』(佐前)[真跡(断片)・古写本] | 細雪の物置小屋

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御宗祖御開山遺文DBを中心に投稿します。
[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 法華経の第一の巻に云はく「無量無数劫(むしゅこう)にも是の法を聞くこと亦難し」と。第五の巻に云はく「是の法華経は無量の国中に於て、乃至(ないし)名字をも聞くことを得べからず」等云云。法華経の御名(みな)をきく事は、をぼろげにもあ(有)りがた(難)き事なり。されば須仙多仏(しゅせんだぶつ)、多宝仏は世にいでさせ給ひたりしかども、法華経の御名をだにもとき給わず。釈迦如来は法華経のために世にいでさせ給ひたりしかども、四十二年が間は名を秘してかた(語)りいださゞりしかども、仏の御年七十二と申せし時、はじめて妙法蓮華経ととな(唱)えいださせ給ひたりき。しかりといえども摩訶(まか)尸那(しな)日本等の辺国の者は御名をもきかざりき。一千余年すぎて、三百五十余年に及んでこそ、纔(わず)かに御名計りをば聞きたりしか。さればこの経に値ひたてまつる事をば、三千年に一度花さく優曇華(うどんげ)、無量無辺劫に一度値(あ)ふなる一眼の亀にもたとへたり。大地の上に針を立てゝ、大梵天王宮より芥子(けし)をな(投)ぐるに、針のさきに芥子のつらぬ(貫)かれたるよりも、法華経の題目に値ふことはかたし。此の須弥山(しゅみせん)に針を立てゝ、かの須弥山より大風つよく吹く日、いと(糸)をわたさんに、いた(至)りてはり(針)の穴にいとのさき(先)のいりたらんよりも、法華経の題目に値ひ奉る事はかたし。さればこの経の題目をとなえさせ給はんにはをぼしめすべし。生盲の始めて眼あきて父母等をみ(見)んよりもうれしく、強(こわ)きかたき(敵)にと(捕)られたる者のゆるされて妻子を見るよりもめづらしとをぼすべし。
(平成新編0354~0355・御書全集0941~0942・正宗聖典----・昭和新定[1]0536~0537・昭和定本[1]0393~0394)
[文永03(1266)年01月06日(佐前)]
[真跡・水戸久唱寺他十一ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日目筆 宮城一迫妙教寺]
[※sasameyuki※]