『兄弟抄』(佐後)[真跡(断片)] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 涅槃経に云はく「横さまに死殃(しおう)に罹(かか)らん、呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦、是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云。般泥■(=清-青+亘)(はつないおん)経に云はく「衣服不足にして飲食(おんじき)麁疎(そそ)なり。財を求むるに利あらず。貧賎の家及び邪見の家に生まれ、或は王難及び余の種々の人間の苦報に遭ふ。現世に軽く受くるは斯(こ)の護法の功徳力に由る故なり」等云云。文の心は、我等過去に正法を行じける者にあだ(仇)をなしてありけるが、今かへりて信受すれば過去に人を障(ささ)へつる罪によて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまね(招)きこ(越)して少苦に値ふなり。この経文に過去の誹謗によりてやうやう(様様)の果報をう(受)くるなかに、或は貧家に生まれ、或は邪見の家に生まれ、或は王難に値ふ等云云。この中に邪見の家と申すは誹謗正法の父母の家なり。王難等と申すは悪王に生まれあうなり。此の二つの大難は各々の身に当たりてをぼへつべし。過去の謗法の罪の滅せんとて邪見の父母にせ(責)められさせ給ふ。又法華経の行者をあだ(仇)む国主にあへり。経文明々たり、経文赫々(かくかく)たり。我が身は過去に謗法の者なりける事疑ひ給ふことなかれ。此を疑って現世の軽苦忍びがたくて、慈父のせ(責)めに随ひて存の外に法華経をす(捨)つるよしあるならば、我が身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちてともにかな(悲)しまん事疑ひなかるべし。大道心と申すはこれなり。各々随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせ(責)めいだし給ひて候。たとへば鉄(くろがね)をよくよくきた(鍛)へばきず(疵)のあらわるゝがごとし。石はや(焼)けばはい(灰)となる。金(こがね)はや(焼)けば真金となる。此度こそまことの御信用はあらはれて、法華経の十羅刹も守護せさせ給ふべきにて候らめ。雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈となり、尸毘王(しびおう)のはと(鳩)は毘沙門天(びしゃもんてん)ぞかし。十羅刹心み給はんがために父母の身に入らせ給ひてせ(責)め給ふこともやあるらん。それにつけても心あさ(浅)からん事は後悔あるべし。
 又前車のくつがへ(覆)すは後車のいまし(誡)めぞかし。今の世にはなにはなくとも道心を(起)こりぬべし。此の世のありさま厭(いと)ふともよも厭(いと)はれじ。日本の人々定んで大苦に値ひぬと見へて候。眼前の事ぞかし。文永九年二月の十一日にさか(盛)んなりし花の大風にを(折)るゝがごとく、清絹(すずし)の大火にや(焼)かるゝがごとくなりしに、世をいと(厭)う人のいかでかなかるらん。文永十一年の十月ゆき(壱岐)・つしま(対馬)、ふのもの(武者)ども一時に死人となりし事は、いかに人の上とをぼ(思)すか。当時もかのうて(討手)に向かひたる人々のなげ(嘆)き、老いたるをや(親)、をさな(幼)き子、わか(若)き妻、めづら(珍)しかりしすみか(住家)うちす(捨)てゝ、よしなき海をまぼ(守)り、雲のみ(見)うればはた(旗)かと疑ひ、つ(釣)りぶね(船)のみ(見)ゆれば兵船(ひょうせん)かと肝心(きもごころ)をけ(消)す。日に一二度山えのぼ(登)り、夜に三四度馬にくら(鞍)ををく。現身に修羅道をかん(感)ぜり。
(平成新編0981~0982・御書全集1082~1084・正宗聖典----・昭和新定[2]1177~1179・昭和定本[1]0924~0926)
[建治02(1276)年04月"文永12(1275)年04月16日"(佐後)]
[真跡・富士大石寺外五ヶ所(40%以上70%未満現存)]
[※sasameyuki※]