夫(それ)一切衆生の尊敬(そんぎょう)すべき者三つあり。所謂(いわゆる)、主・師・親これなり。又習学すべき物三つあり。所謂、儒(じゅ)・外(げ)・内(ない)これなり。
儒家には三皇(さんこう)・五帝・三王、此等を天尊と号す。諸臣の頭目、万民の橋梁(きょうりょう)なり。三皇已前は父をしらず、人皆禽獣(きんじゅう)に同ず。五帝已後は父母を弁(わきま)へて孝をいたす。所謂、重華(ちょうか)はかたく(頑)なわしき父をうやまひ、沛公(はいこう)は帝となって太公を拝す。武王は西伯(せいはく)を木像に造り、丁蘭(ていらん)は母の形をきざめり。此等は孝の手本なり。比干(ひかん)は殷(いん)の世のほろぶべきを見て、し(強)ゐて帝をいさめ頭(こうべ)をはぬらる。弘演(こうえん)といゐし者は懿公(いこう)の肝(きも)をとって、我が腹をさき、肝を入れて死しぬ。此等は忠の手本なり。尹寿(いんじゅ)は尭王(ぎょうおう)の師、務成(むせい)は舜王(しゅんおう)の師、太公望(たいこうぼう)は文王の師、老子は孔子の師なり。此等を四聖(しせい)とがうす。天尊頭(こうべ)をかたぶけ、万民掌(たなごころ)をあわす。此等の聖人に三墳(さんぷん)・五典・三史等の三千余巻の書あり。其の所詮は三玄(さんげん)をいでず。三玄とは、一には有(う)の玄、周公等此を立つ。二には無の玄、老子等、三には亦有亦無(やくうやくむ)等、荘子が玄これなり。玄とは黒なり。父母未生(みしょう)已前をたづぬれば、或は元気より生ず。或は貴賎・苦楽・是非・得失等は皆自然等云云。
(平成新編0523~0524・御書全集0186・正宗聖典0073・昭和新定[1]0756~0757・昭和定本[1]0535)
[文永09(1272)年02月(佐後)]
[真跡・身延曾存]
[※sasameyuki※]