但との(殿)は、このぎ(義)を聞(き)こし食(め)して、念仏をすて法華経にならせ給ひてはべりしが、定めてかへりて念仏者にぞならせ給ひてはべるらん。法華経をすてゝ念仏者とならせ給はんは、峰(みね)の石の谷へころ(転)び、空の雨の地にお(落)つるとおぼせ。大阿鼻地獄疑ひなし。大通結縁の者の三千塵点劫(じんでんごう)をへ(経)、久遠下種の者の五百塵点劫を経(へ)し事、大悪知識にあひて法華経をすてゝ念仏等の権教にうつ(移)りし故なり。一家の人々念仏者にてましましげに候ひしかば、さだめて念仏をぞすゝ(勧)めむと給ひ候らん。我が信じたる事なればそれも道理にては候へども、悪魔の法然が一類にたぼら(誑)かされたる人々なりとおぼして、大信心を起こし御用ひあるべからず。大悪魔は貴き僧となり、父母兄弟等につきて人の後世をばさう(障)るなり。いかに申すとも、法華経をす(捨)てよとたばか(謀)りげに候はんをば御用ひあるべからず候。まづ御きゃうざく(景迹)あるべし。
(平成新編0325・御書全集1497・正宗聖典----・昭和新定[1]0502・昭和定本[1]0325~0326)
[文永01(1264)年12月13日(佐前)]
[真跡・神奈川由井氏外十ヶ所(10%以上40%未満現存)、古写本・日興筆 北山本門寺]
[※sasameyuki※]