問うて云はく、只(ただ)題目計りを唱ふる功徳如何(いかん)。答へて云はく、釈迦如来、法華経を説かんとおぼしめして世に出でましまししかども、四十余年の程は法華経の御名を秘しおぼしめして、御年三十の比(ころ)より七十余に至るまで法華経の方便をまうけ、七十二にして始めて題目を呼び出ださせ給へば、諸経の題目に是を比ぶべからず、其の上、法華経の肝心たる方便・寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり。天台大師玄義(げんぎ)十巻を造り給ふ。第一の巻には略して妙法蓮華経の五字の意を宣べ給ふ、第二の巻より七の巻に至るまでは又広く妙の一字を宣べ、八の巻より九の巻に至るまでは法蓮華の三字を釈し、第十の巻には経の一字を宣べ給へり。経の一字に華厳・阿含・方等・般若・涅槃経を収めたり。妙法の二字は玄義の心は百界千如・心仏衆生の法門なり。止観(しかん)十巻の心は一念三千・百界千如・三千世間・心仏衆生三無差別と立て給ふ。一切の諸仏・菩薩・十界の因果・十方の草木瓦礫(がりゃく)等妙法の二字にあらずと云ふ事なし。華厳・阿含等の四十余年の経々、小乗経の題目には大乗経の功徳を収めず、又大乗経にも往生を説く経の題目には成仏の功徳を収めず、又王にては有れども王中の王にて無き経も有り。仏も又経に随って他仏の功徳をおさめず、平等意趣をもって他仏自仏とをな(同)じとといひ、或は法身(ほっしん)平等をもて自仏他仏同じといふ。実には一仏に一切仏の功徳をおさめず、今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて、十方世界の三身円満の諸仏をあつめて、釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に、一仏一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり。故に妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大(ばくだい)なり。諸仏諸経の題目は法華経の所開(しょかい)なり、妙法は能開(のうかい)なりとしりて法華経の題目を唱ふべし。
(平成新編0229~0230・御書全集0013・正宗聖典0320~0321・昭和新定[1]0360~0362・昭和定本[1]0202~0203)
[文応01(1260)年05月28日(佐前)]
[古写本・日興筆 神奈川由井氏]
[※sasameyuki※]