第四重の難に云はく、法華本門の観心の意を以て一代聖教を按(あん)ずるに菴羅果(あんらか)を取って掌中(しょうちゅう)に捧(ささ)ぐるが如し。所以(ゆえん)は何(いかん)。迹門の大教起これば爾前の大教亡じ、本門の大教起これば迹門爾前亡じ、観心の大教起これば本迹爾前共に亡ず。此は是如来所説の聖教、従浅至深(じゅうせんしじん)して次第に迷ひを転(てん)ずるなり。然れども如来の説は一人の為にせず。此の大道を説きて迷情除かざれば生死出で難し。
(平成新編0176・御書全集0420・正宗聖典1034・昭和新定[1]0298・昭和定本[1]0140)
[正元01(1259)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]