白米一斗・芋一駄・梨子(なし)一籠(こ)・茗荷(みょうが)・はじかみ・枝大豆・ゑびね(山葵)、旁(かたがた)の物給び候ひぬ。濁れる水には月住まず。枯れたる木には鳥なし。心なき女人の身には仏住み給はず。法華経を持つ女人は澄める水の如し。釈迦仏の月宿(やど)らせ給ふ。譬へば女人の懐(はら)み始めたるには、吾が身には覚えねども、月漸(ようや)く重なり、日も屡(しばしば)過ぐれば、初めにはさかと疑ひ、後には一定と思ふ。心ある女人はをのこゞ(男子)をんな(女子)をも知るなり。法華経の法門も亦(また)かくの如し。南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐(はら)まれ給ふ。始めはしらねども、漸く月重なれば心の仏夢に見え、悦ばしき心漸く出来し候べし。法門多しといへども止(とど)め候。法華経は、初めは信ずる様なれども後遂(と)ぐる事かたし。譬へば水の風にうごき、花の色の露に移るが如し。何として今までは持たせ給ふぞ。是偏(ひとえ)に前生の功力の上、釈迦仏の護り給ふか。たのもしゝ、たのもしゝ。委(くわ)しくは甲斐殿申すべし。
(平成新編1495・御書全集1395・正宗聖典1018・昭和新定[3]2149~2150・昭和定本[2]1792)
[弘安03(1280)年09月01日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]