其の後御おとづれ(音信)き(聴)かまほしく候ひつるところに、わざと人ををく(送)り給(た)び候。又何よりも重宝たるあし(銭)、山海を尋ぬるとも日蓮が身には時に当たりて大切に候。
夫(それ)について経王御前の事、二六時中に日月天に祈り申し候。先日のまぼ(守)り暫時も身をはなさずたもち給へ。其の御本尊は正法・像法二時には習へる人だにもなし。ましてかき顕はし奉る事たえたり。
師子王は前三後一と申して、あり(蟻)の子を取らんとするにも、又たけ(猛)きものを取らんとする時も、いき(勢)をひを出だす事はたゞをな(同)じき事なり。日蓮守護たる処の御本尊をしたゝめ参らせ候事も師子王にをとるべからず。経に云はく「師子奮迅之力(ししふんじんしりき)」とは是なり。
(平成新編0685・御書全集1124・正宗聖典1009・昭和新定[2]1005・昭和定本[1]0750)
[文永10(1273)年08月15日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]