凡(およ)そ法華経と申すは一切衆生皆成仏道の要法なり。されば大覚世尊は「説時未だ至らざる故なり」と説かせ給ひて、説くべき時節を待たせ給ひき。例せば郭公(ほととぎす)の春を送り、鶏鳥(けいちょう)の暁(あかつき)を待ちて鳴くが如くなり。此即ち時を待つ故なり。されば涅槃経に云はく「時を知るを以ての故に大法師(ほっし)と名づく」と説かれたり。今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益(りしょうとくやく)有るべき時なり。されば此の題目には余事を交へば僻事(ひがごと)なるべし。此の妙法の大曼荼羅を身に持(たも)ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり。之に依って一部八巻の頂上に南無妙法蓮華経序品第一と題したり云云。
(平成新編1818~1819・御書全集0807・正宗聖典1008・昭和新定[3]2875・昭和定本[3]2544)
[弘安01(1278)年03月19日~弘安03(1280)年05月28日(佐後)]
[古写本・京都要法寺、戸田妙顕寺]
[※sasameyuki※]