しかるに尼ごぜん(御前)並びに入道殿は彼の国に有る時は人め(目)ををそれて夜中に食ををくり、或時は国のせ(責)めをもはゞ(憚)からず、身にもか(代)わらんとせし人々なり。さればつら(辛)かりし国なれども、そ(剃)りたるかみ(髪)をうしろ(後)へひかれ、すゝ(進)むあし(足)もかへりしぞかし。いかなる過去のえん(縁)にてやありけんと、をぼつかなかりしに、又いつしかこれまでさしも大事なるわが夫(おとこ)を御つか(使)いにてつか(遣)わされて候。ゆめ(夢)か、まぼろ(幻)しか、尼ごぜん(御前)の御すがた(姿)をばみ(見)まいらせ候はねども、心をばこれにとこそをぼへ候へ。日蓮こい(恋)しくをはせば、常に出づる日、ゆう(夕)べにい(出)づる月ををが(拝)ませ給へ。いつとなく日月にかげ(影)をう(浮)かぶる身なり。又後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
(平成新編0740・御書全集1325・正宗聖典1005・昭和新定[2]1291・昭和定本[2]1063~1064)
[文永11(1274)年06月16日"建治01(1275)年06月16日"(佐後)]
[真跡・佐渡妙宣寺(100%現存)]
[※sasameyuki※]