『四条金吾殿御返事(不孝御書・陰徳陽報御書)』(佐後)[真跡(断片)] | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

なによりも人には不孝がをそ(恐)ろしき事に候ぞ。との(殿)ゝあにをとゝ(兄弟)は、われと法華経のかたきになりて、とのをはな(離)れぬれば、かれこそ不孝のもの、とのゝみ(身)にはとがなし。をうなるい(女類)どもこそ、とのゝはぐくみ給はずば一定不孝にならせ給はんずらんとをぼへ候。所領もひろくなりて候わば、我がりゃう(領)えも下しなんどして一身すぐるほどはぐくませ給へ。さだにも候わば過去の父母定んでまぼり給ふべし。
 日蓮がきせい(祈請)もいよいよかない候べし。いかにわるくとも、きかぬやうにてをはすべし。この事をみ(見)候に申すやうにだにもふ(触)れまわせ給ふならば、なをなをも所領もかさなり、人のをぼへもいできたり候べしとをぼへ候。さきざき申し候ひしやうに、陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ、主もいかんぞをぼせしかども、わどの(和殿)の正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじゃう(強盛)にして、すねん(数年)をすぐれば、かかるりしゃう(利生)にもあづからせ給ふぞかし。此は物のはしなり。大果報は又来たるべしとをぼしめせ。
 又此の法門の一門いかなる本意なき事ありとも、みず、きかず、いわずしてむつばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし。上に申す事は私の事にはあらず。外典三千、内典五千の肝心の心をぬきてかきて候。あなかしこあなかしこ。恐々謹言。
(平成新編1362・御書全集1178・正宗聖典----・昭和新定[3]1975~1976・昭和定本[2]1638)
[弘安02(1279)年04月23日(佐後)]
[真跡・京都妙覚寺外一ヶ所(10%以上40%未満現存)]
[※sasameyuki※]