『持妙法華問答抄(持法華問答抄)』(佐前) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 問うて云はく、一を以て万を察する事なれば、あらあら法華のいはれを聞くに耳目(じもく)始めて明らかなり。但し法華経をばいかやうに心得候ひてか、速(すみ)やかに菩提の岸に到るべきや。伝へ聞く、一念三千の太虚(たいきょ)には慧日(えにち)くもる事なく、一心三観の広池には智水にごる事なき人こそ、其の修行に堪へたる機にて候なれ。然るに南都の修学に臂(ひじ)をくだく事なかりしかば、瑜伽(ゆが)・唯識にもくらし。北嶺(ほくれい)の学文に眼をさらさざりしかば、止観・玄義にも迷へり。天台・法相の両宗はほとぎ(瓮)を蒙(こうむ)って壁に向かへるが如し。されば法華の機には既にもれて候にこそ、何(いか)んがし候べき。答へて云はく、利智(りち)精進にして観法(かんぽう)修行するのみ法華の機ぞと云ひて、無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり。是還(かえ)って愚癡(ぐち)邪見の至りなり。一切衆生皆成仏道の教なれば、上根上機は観念観法も然るべし。下根下機は唯信心肝要なり。されば経には「浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄・餓鬼・畜生に堕(お)ちずして十方の仏前に生ぜん」と説き給へり。いかにも信じて次の生の仏前を期(ご)すべきなり。譬へば高き岸の下に人ありて登る事あたはざらんに、又岸の上に人ありて縄をおろして此の縄にとりつかば、我(われ)岸の上に引き登(のぼ)さんと云はんに、引く人の力を疑ひ縄の弱からん事をあやぶみて、手を納めて是をとらざらんが如し。争(いか)でか岸の上に登る事をうべき。若し其の詞(ことば)に随ひて、手をのべ是をとらへば即ち登る事をうべし。「唯我一人のみ能く救護(くご)を為す」の仏の御力を疑ひ「以信得入」の法華経の教への縄をあやぶみて「決定(けつじょう)無有疑」の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず。菩提の岸に登る事難かるべし。不信の者は堕在泥梨(だざいないり)の根元なり。されば経には「疑ひを生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」と説かれたり。
(平成新編0296・御書全集0463~0464・正宗聖典----・昭和新定[1]0461~0462・昭和定本[1]0278~0280)
[弘長03(1263)年(佐前)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]