又日蓮が弟子等の中に、なかなか法門し(知)りたりげに候人々はあ(悪)しく候げに候。南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心、人の中の神(たましい)のごとし。此れにものをならぶれば、きさき(后)のならべて二王をおとこ(夫)とし、乃至きさきの大臣已下(いげ)になひなひ(内内)とつ(嫁)ぐがごとし。わざわ(禍)ひのみなもと(源)なり。正法・像法には此の法門をひろめず、余経を失はじがためなり。今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし。かう申し出だして候もわたく(私)しの計らひにはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計(はか)らひなり。此の南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へば、ゆゝしきひが(僻)事なり。日出でぬればとぼし(灯)びせん(詮)なし。雨のふるに露なにのせんかあるべき。嬰児(みどりご)に乳より外のものをやしなうべきか。良薬に又薬を加へぬる事なし。此の女人はなにとなけれども、自然に此の義にあたりてしを(為遂)ゝせぬるなり。たうと(尊)したうとし。恐々謹言。
(平成新編1219・御書全集1546・正宗聖典1015・昭和新定[2]1816・昭和定本[2]1492)
[弘安01(1278)年04月01日(佐後)]
[古写本・日興筆 富士大石寺]
[※sasameyuki※]