而(しか)るを法然の選択(せんちゃく)に依って、則ち教主を忘れて西土(さいど)の仏駄(ぶつだ)を貴(たっと)び、付嘱を抛(なげう)ちて東方の如来を閣(さしお)き、唯(ただ)四巻三部の経典を専(もっぱ)らにして空(むな)しく一代五時の妙典を抛(なげう)つ。是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏(くぶつ)の志を止(とど)め、念仏の者に非ざれば早く施僧(せそう)の懐(おも)ひを忘る。故に仏堂は零落(れいらく)して瓦松(がしょう)の煙老(お)い、僧房は荒廃して庭草(ていそう)の露深し。然りと雖も各護惜(ごしゃく)の心を捨てゝ、並びに建立の思ひを廃す。是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守護の善神去りて来たること無し。是(これ)偏(ひとえ)に法然の選択に依るなり。悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷へり。謗(ぼう)を好んで正(しょう)を忘る、善神怒(いか)りを成さゞらんや。円を捨てゝ偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。如(し)かず彼(か)の万祈を修せんよりは此の一経を禁ぜんには。
(平成新編0241・御書全集0023~0024・正宗聖典0060・昭和新定[1]0375・昭和定本[1]0216~0217)
[文応01(1260)年07月16日"文応01(1260)年07月"(佐前)]
[真跡・中山法華経寺(70%以上100%未満現存)、古写本・日興筆 富士大石寺 日興筆 玉沢妙法華寺]
[※sasameyuki※]