『上野殿後家尼御返事』(佐前"佐後?")(秘) | 細雪の物置小屋

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御宗祖御開山遺文DBを中心に投稿します。
[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 詮ずるところ、地獄を外にもとめ、獄卒の鉄杖、阿防羅刹のかしゃく(呵責)のこゑ(声)別にこれなし。此の法門ゆゝしき大事なれども、尼にたい(対)しまいらせておし(教)へまいらせん。例せば竜女にたいして文殊菩薩は即身成仏の秘法をとき給ひしがごとし。これをきかせ給ひて後はいよいよ信心をいたさせ給へ。法華経の法門をきくにつけて、なをなを信心をはげ(励)むをまこと(真)の道心者とは申すなり。天台云はく「従藍而青(じゅうらんにしょう)」云云。此の釈の心はあい(藍)は葉のときよりも、なをそ(染)むればいよいよあを(青)し。法華経はあいのごとし。修行のふかきはいよいよあをきがごとし。地獄と云ふ二字をば、つちをほるとよめり。人の死する時つちをほらぬもの候べきか。これを地獄と云ふ。死人をやく火は無間の火炎なり。妻子眷属の死人の前後にあらそひゆくは獄卒・阿防羅刹なり。妻子等のかなしみな(泣)くは獄卒のこゑ(声)なり。二尺五寸の杖は鉄杖なり。馬は馬頭(めず)、牛は牛頭(ごず)なり。穴は無間大城、八万四千のかま(釜)は八万四千の塵労門(じんろうもん)、家をきりいづるは死出の山、孝子の河のほとり(辺)にたゝずむは三途の愛河なり。別に求める事はかなしはかなし。此の法華経をたもちたてまつる人は此をうちかへし、地獄は寂光土、火焔は報身如来の智火、死人は法身(ほっしん)如来、火坑は大慈悲為室の応身如来、又つえは妙法実相のつえ、三途の愛河は生死即涅槃の大海、死出の山は煩悩即菩提の重山なり。かく御心得させ給へ。即身成仏とも開仏知見とも、これをさとりこれをひらくを申すなり。提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽とひらき、竜女が即身成仏もこれより外は候はず。逆即是順の法華経なればなり。これ妙の一字の功徳なり。竜樹菩薩の云はく「譬へば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」云云。妙楽大師云はく「豈伽耶(がや)を離れて別に常寂を求めん、寂光の外(ほか)別に娑婆有るに非ず」云云。又云はく「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土なり」云云。法華経に云はく「諸法実相乃至本末究竟等」云云。寿量品に云はく「我実に成仏してより已来(このかた)無量無辺なり」等云云。此の経文に我と申すは十界なり。十界本有(ほんぬ)の仏なれば浄土に住するなり。方便品に云はく「是の法は法位に住して世間の相常住なり」云云。世間のならひとして三世常恒(じょうごう)の相なればなげ(嘆)くべきにあらず、をどろ(驚)くべきにあらず。相の一字は八相なり、八相も生死の二字をいでず。か(斯)くさとるを法華経の行者の即身成仏と申すなり。
(平成新編0337~0338・御書全集1505~1506・正宗聖典----・昭和新定[2]1078~1080・昭和定本[1]0329~0331)
[文永02(1265)年07月11日(佐前)"文永11(1274)年07月11日(佐後)"]
[真跡、古写本・無]
[秘・日蓮が秘蔵の法門]
[※sasameyuki※]