『松野殿御返事(十四誹謗抄)』(佐後) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 とても此の身は徒(いたずら)に山野の土と成るべし。惜しみても何かせん。惜しむとも惜しみとぐべからず。人久しといえども百年には過ぎず。其の間の事は但一睡の夢ぞかし。受けがたき人身を得て、適(たまたま)出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして、徒に遊戯(ゆげ)雑談(ぞうだん)のみして明かし暮らさん者は、法師の皮を著(き)たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り身を養ふといへども、法師となる義は一つもなし。法師と云ふ名字をぬすめる盗人なり。恥づべし、恐るべし。迹門には「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」ととき、本門には「自ら身命を惜しまず」ととき、涅槃経には「身は軽く法は重し、身を死(ころ)して法を弘む」と見えたり。本迹両門・涅槃経共に身命を捨てゝ法を弘むべしと見えたり。此等の禁(いまし)めを背く重罪は目には見えざれども、積もりて地獄に堕つる事、譬へば寒熱の姿形もなく、眼には見えざれども、冬は寒来たりて草木人畜をせめ、夏は熱来たりて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。
 然るに在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力演説も有るべきか。世の中ものう(憂)からん時も今生の苦さへかなしし。況(ま)してや来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ。妙覚の山に走り登りて四方をきっと(屹度)見るならば、あら面白や法界寂光土にして瑠璃を以て地とし、金の縄を以て八つの道を界(さか)へり。天(そら)より四種の花ふり、虚空に音楽聞こえて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽快楽(けらく)し給ふぞや。我等も其の数に列なりて遊戯(ゆげ)し楽しむべき事はや近づけり。信心弱くしてはかゝる目出たき所に行くべからず、行くべからず。不審の事をば尚々承るべく候。穴賢穴賢。
(平成新編1051~1052・御書全集1386~1387・正宗聖典1021・昭和新定[2]1565~1566・昭和定本[2]1272~1273)
[建治02(1276)年12月09日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]