『松野殿御返事(十四誹謗抄)』(佐後) | 細雪の物置小屋

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[参考]『日蓮大聖人の「御書」をよむ 上 法門編』著者・小林正博
発行所・株式会社第三文明社
『日蓮大聖人の「御書」をよむ 下 御消息編』著者・河合 一
発行所・株式会社第三文明社

 御文に云はく、此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり。但し聖人の唱へさせ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程の多少候べきやと云云。更に勝劣あるべからず候。其の故は、愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も、愚者の燃せる火も智者の燃せる火も、其の差別なきなり。但し此の経の心に背きて唱へば、其の差別有るべきなり。此の経の修行に重々のしな(差)あり。其の大概を申せば、記の五に云はく「悪の数を明かすをば今の文には説不説と云ふのみ。有る人此を分かって云はく、先に悪因を列ね、次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に■(=情-青+喬)慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり」と。此の十四誹謗は在家出家に亘るべし、恐るべし恐るべし。過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり、法華経を持たば必ず成仏すべし、彼を軽んじては仏を軽んずるになるべしとて、礼拝の行をば立てさせ給ひしなり。法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん、仏性ありとてかくの如く礼拝し給ふ。何に況んや持てる在家出家の者をや。此の経の四の巻には「若しは在家にてもあれ、出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり」と見へたり。或は「若実若不実」とも説かれたり。之を以て之を思ふに、忘れても法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか。其の故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり。仏を毀りては罪を得るなり。
 加様に心得て唱ふる題目の功徳は釈尊の御功徳と等しかるべし。釈に云はく「阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、毘廬の身土は凡下の一念を逾(こ)えず」云云。十四誹謗の心は文に任せて推量あるべし。
(平成新編1046~1047・御書全集1381~1382・正宗聖典----・昭和新定[2]1558~1559・昭和定本[2]1265~1266)
[建治02(1276)年12月09日(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]