うれしきかな末法流布に生まれあへる我等、かなしきかな今度此の経を信ぜざる人々。抑人界に生を受くるもの誰か無常を免れん。さあらんに取っては何ぞ後世のつとめをいたさゞらんや。倩世間の体を観ずれば、人皆口には此の経を信じ、手には経巻をにぎるといへども、経の心にそむく間、悪道を免れ難し。譬へば人に皆五臓あり。一臓も損ずれば其の臓より病出来して余の臓を破り、終に命を失ふが如し。爰を以て伝教大師は「法華経を讃すと雖も還って法華の心を死す」等云云。文の心は法華経を持ち読み奉り讃むれども、法華の心に背きぬれば、還って釈尊十方の諸仏を殺すに成りぬと申す意なり。縦ひ世間の悪業衆罪は須弥の如くなれども、此の経にあひ奉りぬれば、衆罪は霜露の如くに法華経の日輪に値ひ奉りて消ゆべし。然れども此の経の十四誹謗の中に、一もニもをかしぬれば其の罪消えがたし。所以は何、一大三千界のあらゆる有情を殺したりとも、争でか一仏を殺す罪に及ばんや。法華の心に背きぬれば、十方の仏の命を失ふ罪なり。此のをきてに背くを謗法の者とは申すなり。
(平成新編1456・御書全集1439・正宗聖典----・昭和新定[3]2089~2090・昭和定本[3]2118~2119)
["弘安03(1280)年12月""弘安03(1280)年02月"(佐後)]
[真跡、古写本・無]
[※sasameyuki※]