利他愛と自己愛

大我と小我

慈悲と無慈悲


若干の誤差があろうが、ほぼ同意語であろう。霊的真理では大我と小我を良く使う。何かをする時の動機が、大我なのか小我なのか自問自答して決めることが多いからだ。大我は悩まない、落ち込まない、怒らない、悲しまない。大我があるのは理性だけ感情はいらないのだ。

マイナスの感情は小我で、自分で自分を苦しめることとなる。

大我で利用者さんに接すると、悲しい事はない、苦しい事はない。

利用者さんの幸のために、仕事をしているに過ぎない。そこに自分の感情はいらない。

利用者さんには自己責任で判断し、生きていくことが前提になる。私はそのサポートをするに過ぎない。

他力本願や依存の強い利用者さんは、まずはその誤りを正して頂く。甘えは一切許さない態度で臨む。例外を作らない。しかし、このスタンスは全てではない。夢を持ちそのために努力を惜しまない人。その人にとって甘えは禁断の果実。私は絶対に与えない。

全ては障碍を持つ利用者さんのため。

その人に合った支援を、太陽のごとく、粛々を行うのみである。


利用者さんの中には、施設を居場所として捉えている人もいる。その人には、どうか甘えて下さい、どうか我儘を言って下さい。どうか、傷ついた羽を休めて下さい。と思うのです。

40代の彼は派手なファッションを好む。作業所と言われる施設にも、アロハシャツに短パン、サンダル。そして女性物のネックレス、ブレスレット。中年女性の職員は怪訝な表情を浮かべるくらい、奇抜といえる。

彼の病名は「統合失調症」である。幻聴、幻覚もあるので軽いとは言えない。自分はいつも何かに脅えて、臆病だと言う。しかし、彼は毎日作業場に通う。毎月皆勤賞だ。

精神病を患っている人と接する上で大切なのが生育歴である。

統合失調症は後天的な病気であるので、必ず原因がある。それを我々職員が丁寧に紐解かなくてはならない。


彼が幼い頃の家庭の状況は、実父の酒乱に悩まされる日々であった。実父の母へ対する、又は自分に対する暴力に脅え、苦しむ、そんな幼少期に彼は「人間とは一体なんだ?」と疑問に持ち始める。

普段はやさしく、頼もしい父が、酒を飲むとどうして悪魔に変貌してしまうのか。人間は決して一つの人格ではなく、多面性を持った存在であると感じた。


江原さん曰く「酒乱は憑依であり、未浄化の酒好きの霊が自分と同じ低い波長の人間に憑依する現象である」


普段は大人しい人間が酒を飲むことによって、人が変わった様に暴れたり、周りの人に迷惑をかける。それは紛れもなく「別な人格の出現」であると想像できる。


では解決策は、無いのか?


自分の波長を高めればいいだけ。霊能者に除霊してもらっても、波長が低いままであれば、また別の霊がやってくるだけである。


ではどうしたら波長を高める事ができるのか。


規則正しい生活、睡眠、バランスの良い食事、清潔な部屋で暮らす、リラックスした時間、そして入浴である。


これを継続できれば、低級霊は自分と同じ環境ではないと去っていくしかない。これが本当の除霊なのだ。


彼は中卒で語彙能力に乏しい。自分の辛い状況を伝えることが下手である。ちゃんと相手に伝わっているかどうか心配になり、不安の連鎖が彼を襲う。


派手な服装は彼の強くありたい、見えない敵に負けないという気持ちの表れであり、自分を表現する大切な手段である。


そしてネックレスなどの装飾品は霊から身を守る「魔よけ」であるのだ。


残念ながら彼は読書が苦手である。よって江原さんの本を読むことができない。故に僕が彼とスピリチュアリズムを繋ぐ架け橋にならなければならない。

さて、福祉施設に通う障碍者さんは、障碍が重い人から軽い人まで様々です。軽い人はちゃんとお話できます。楽しかったこと、苦しかったこと、自分の悩みを話せます。

しかし、障碍の重い人、精神障碍においては、薬を多くのんでいる人がこれに当たるかもしれないが、その人の話は取り止めがない、意味不明の不安を訴える、自分では説明のできない不快感を感情で表現するのだ。その方と接すると身体的、精神的に疲れることが多々ある。

故に福祉に対する志のない職員は、その方を避ける傾向にある。大切なのは誰にスポットを当てた施設運営をすか?もちろん病気が重く、薬を沢山、いろんな種類を飲んでいる方だ。

しかし現実は違う。話が面白くない人と率先して話す職員は少ないのが現状だ。

そして障碍の軽い方が重い方を助けるのが、この世の、人間社会の法則であると、福祉の現場から社会にアピールしたい。

お金がないので、レクレーションに参加できない方もいる。それが社会の掟であるのは確かだが、ここは福祉施設。その不平等をなるべく解消したいものだ。

障碍者は福祉サービスを受ける権利を有している。

そのサービスに対して不満であるならば、苦情を申し立てることも可能だ。

しかし、障碍の重い方は、文字が書けない、自分の思いを上手に表現できない。


そして何より一番の精神障碍の弱者は、施設に通うことのできない、ひきこもりの方々である。

施設に来る人だけを相手にすればいいという考え方は福祉に携わるものとして不適格だ。

私は自分の外にいる弱き人々を知り、その方々をも視野にいれた福祉人であるべきだ。