福祉法人にお勤めして半年が経った。

今更ながら

福祉とは何だろうと考えた。


人はいろんな条件の下で産まれる。広義な意味で生活環境、国、身体的な条件、など

つまり、平等ではない。差が生じる。

貧困な環境よりリッチな環境が良いに決まっている。

脳に障碍があるよりないほうが良いに決まっている。


どうしてもいつの世も、弱き人は存在するのだ。

助けられる人間であるならば、弱き人間を助けるのは当然のことである。

しかしそれは、常識ではない。

それを実践する人は、今現在はわずかである。


それが当たり前の世の中にする。


それが僕の課題だ。


つまり、福祉法人なんぞどうでもいいのだ。障碍者は行政が守るのではなく、助けられる人が助けるのだ。


目が見えない人が耳の聞こえない人のお役に立てる。

だれでも、必ず誰かのお役に立てるのだ。

それが人間の本質ではなかろうか。

自己愛から利他愛へ


そんな世の中が僕の理想。

脳は宇宙より無限である。仮想は想像であり、妄想であり、予想であり、記憶である。

つまり、「今、ここ」以外は全て仮想なのだという。

仮想は脳で行われる。

宇宙の果てを想像しうる脳は宇宙より無限なのだ。

つまり、宇宙は私の中にある。

これは「神は私自身である」「人は皆未熟な神である」というスピリチュアリズムに似ている。

政治的なデモをやる暇があるなら、自分が日本の為に何が出来るか考えよ。

人は弱い。故に挙党を組んで闊歩したがる。故に責任主体を失う。イデオロギー的生き方は決して責任主体ではない。宗教や団体に所属している限りは、決してスピリチュアリストとは言えない。

脳とは心である。というのは脳科学者の持論だ。それを否定できる根拠はない。

しかし、では脳死状態で心は死んでいるのか。答えは否だ。

涙を流すし、霊視すると、たましいと体は繋がっている。

私の前で起こる事、この宇宙の中で起こる事は、私自身の中で起こった事として全てを受け入れる。

宇宙と私の関係性を考える。想像する。

意外と簡単と思えるのは、私だけなのか。

新たな感覚を手に入れた。

霊魂の法則

人は死して死なない。つまりたましいは永遠なり。死とはたましいの故郷への里帰り。

肉体も自然界からの借り物、あなたの所有物ではない。この世の苦労はたましいを成長させるための学びに過ぎない。

8つの法則の一番に最初に書かれている法則。死とは忌み嫌うものでも、永遠の別れを意味するものでもない。精神を研ぎ澄ませば愛する死者との触れ合いは生きている時以上に親密でいつでもできる。むしろ死後の方が濃密な関係になったりする。

津波に壊滅された町並みを惨状と見るか、浄化と見るか。どの立場の目線で見るかによる。人間界から見れば惨劇。しかし自然界から見れば浄化。残念ながら、我々人間は自然界に中で生かされている、健気な生物。それを忘れてはならない。自然を冒涜していないか、自然に対抗していないか。

カルマの法則

全ての出来事に偶然はない必然である。全ての出来事に原因がある。因果律の法則。

種を蒔き、太陽の光を浴びて、水の恵みを得て、芽を出す。

全ての結果にも原因がある。この震災も然り。人間への自然界からのメッセージである。それは大いなる反省と大きな修正を意味する。戦後の様な復興をしてはまた同じ結果をえるだけ。資源とエネルギーと未来の地球をしっかり考えて復興を進めて行かなくてはならない。

スピリチュアリズムの視点では死は不幸ではない。つまり生き残った人の方がむしろ不幸で学ぶが多い。ある意味この世で学ぶ課程を修了した人が、あの世に帰る。つまり残された人は、この世でまだまだ学びを積めと霊界からのお役目を頂いていると言ってもいい。

放射能漏れも我々の自己責任である。電気の生活を謳歌したのだから、そのカルマが返ってきたことに過ぎない。野菜も水も国が安全を言うならば大人は飲むべきだ。もしそれで病気になってもカルマを返しただけ。だれも責めてはならない。キリストが磔にされた様に国のカルマを背負って死ねるなら、それほど尊いことはない。

スピリチュアリストとして今、すべきことは「反省と愛の祈り」

地球に依存してきた、今こそ地球を癒す番だ、地球をヒーリングする。天然資源を節約する。祈り、内観の中で地球をイメージし、地球に寄り添う。

サンクチュアリの設立

表参道にオープンした。江原スピリチュアリズムの聖域、庵だ。スピリチュアリストを育成する施設でもあり、ボランティアの活動拠点にもなる。しかし真のスピリチュアリスト育てても江原さんは認定をしない。そんな資格は江原さんにはない。それは霊界が決めること。それぞれのフィールドで育成されたスピリチュアリストが活躍するため、そしてその輪がどんどん広がる事。スピリチュアリズムは信仰ではない。だから普及活動はしない。

ではどのようにスピリチュアリズムを広めるのか。それはスピリチュアリストの日々の行動であり発言である。故に江原さんの様に媒体を使うと広まりやすい。私の個人的な活動は本当に大海に一石を投じるようなもの。決してスピリチュアリストの名に恥じないような行動発言が要求される。

「これを学べば怖いものがなくなり、本当の幸せを手に入れられるよ」

言いたいが、言ってはならぬ、この言葉。