【音楽版権】YMO商法≒アルファ商法なるCDリリース方法【備忘録】 | MEYの観察日誌

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そして、その行動。


音楽著作権について、備忘録的に知り得る情報を共有するためにも残しておきたいと思う。 


1.著作権利の発生と消滅

音楽等に関する著作権利の発生期間 は、原則2種類に分かれる。 

 (a) 個人として発表した楽曲は、その発表者本人の没後50年後に著作権利の消滅となる 
 (b) 個人ではないグループ・団体名で発表した楽曲の発表日から50年後に著作権利の消滅となる 
 (2010年7月末現在の知識または情報)

よって、小説など著書の場合は個人での発表となるため前者(a)、
映画など団体での製作・発表になる場合は後者(b)、
音楽では、ソロ名義での発表は前者(a)、
バンド名義の発表は後者(b)になることがご理解いただけるであろう。


2.楽曲のリリース方法

インディーズと呼ばれる自主制作・委託販売などの発表方法を除き、
各有名レーベル会社からのCDリリースを行うことを想定すると、
まず物流・広告・ミキシング・トラックダウン・版権管理など膨大な業務が発生するため、
デビュー前の基盤を持たないアーティスト当人が全ての業務を完璧に行う事は、
ほぼ不可能に近いといえるだろう。

そのため、それら業務に発生する全ての手配をアーティストに代わり、
レーベル会社もしくは音楽出版会社や音楽事務所が、
楽曲の版権(著作権利)を担保に行う事が音楽業界の慣習となっている。


3.楽曲における著作権利の現状と実例

日本における音楽著作管理は、例外を除きほぼJASRAC によって管理されている。
(独占禁止法を避けるためか、同業他社としてイーライセンス 社やジャパン・ライツ・クリアランス 社など数社が事実上存在する。)

国営放送局や民放放送局はJASRACと包括契約 を結ぶことによって、
番組などで楽曲を放送で使用することが認められている。
通信カラオケ業界なども同様であり、営業目的での楽曲の使用が発生すると、
著作管理を委託されたJASRACに楽曲使用料が支払われ、
楽曲アーティスト・作詞者・作曲者・編曲者などに分配される仕組みである。


3.1 サザンオールスターズの場合

では、実際の実例を挙げてみよう。
歌謡曲で代表的ともいえる楽曲、サザンオールスターズ『勝手にシンドバッド 』や
いとしのエリー 』は、実はアーティスト本人の手元には音楽著作権利は所有されていない。

出資デビューをさせたバーニング・パブリッシャーズ 社が保有しているのである。
これはどの様な意味を持つのか。

1987年にデビューした当時、やはりアーティスト本人であるサザンオールスターズは、
レコードをリリースする財力はまだ持って無かったと見られ、
その楽曲著作権利を担保にバーニング社が出資する事によって、
レコードデビュー出来たことになる。

つまりは著作権利が消滅する2037年までの50年間、
ラジオで放送されたり、この文章を書いている間にも
一分、数十秒ごとに全国のカラオケボックスで歌われているであろう
いとしのエリー 』の楽曲使用料はアーティストである、
サザンオールスターズには直接、収入として支払われず、
まずはJASRAC、そしてバーニング社へ支払われるのである。

作詞・作曲をした桑田佳祐 氏へ、どのように楽曲使用料が取扱われるかは契約次第であり、
また、R.チャールズ 氏が『いとしのエリー 』をカバーした際の楽曲使用料についても同様である。


3.2 YMOの場合

細野晴臣氏がプロデユースし、キーボードに坂本龍一氏、ドラムスに高橋幸宏氏、
そしてデビュー記者会見に現れず幻に終わった横尾忠則氏らが、
「世界を舞台に400万枚を売る」といった壮大なプロジェクトがYMOである。

『ファイアー・クラッカー』を皮切に『テクノポリス 』『ライディーン 』といった、
社会現象ともいえる電子音楽による国産テクノポップというシーンを築いたのであった。

だがしかし、「YMO商法(アルファ商法) 」と揶揄される、
アーティスト本人たちの思惑とは異なる方法によって、
現段階(2010年)においても、彼らYMOが残した楽曲を
最新リマスタリング技術など原盤を加工するなどの活動が制限され、
自由にCDリリース出来ないのである。

その仕組みを説明しよう。
まず、YMOとして数多くの楽曲を発表したアルファレコード 社は現在存在せず、
原盤権 を所有したまま、その楽曲著作権利や原版権を管理する会社として、
アルファミュージック社に移管されている。

そのため、細野・坂本・高橋の三氏は『YMO』としての活動を避ける様に、
『Y.M.O.』や『YMO 』、『HAS 』、『SKETCH SHOW +坂本龍一』など、
異なる名義での楽曲発表をしている。

彼らが"Not YMO"の意味を込めたYMOテクノドン 』が散開後10年である
1993年に「再生」として東芝EMI社からリリースされた際、
そのアルファ商法 はアーティスト本人たちの意志や尊厳なく、
乱発して再リリースされるベスト版CDは特に際立って目立っていた。

アルファレコードからリリースされた5枚組みベストアルバムである
テクノ・バイブル 』(1992年)等が、その代表でもあり、
皮肉にもリアルタイムでのYMOを知らない世代の入り口ともなった。

つまり、どのようなベストアルバムを企画して販売するかの決定権は、
アルファレコード側にあり、原盤権 を保有してないアーティストはCDのリリースを
拒否・制限する権利を保持していないのである。

この点については、細野・坂本・高橋の三氏による声明(謝罪文) として、
「ごめんなさい」「心を痛めている」「しかし契約上、どうにもならない」
という説明をファンに対して表明している。(2005年3月の声明)


3.3 GLAYによる例外

ここまで楽曲著作権利をアーティスト本人が保有してない実例を挙げたが、
音楽出版会社であるバーニング・パブリッシャーズによる出資デビュー10年後である
2006年に楽曲の権利を取り戻した(譲渡された)例外がGLAYなのである。

音楽業界の慣習もあり、なおかつ少なくとも7000曲を超える楽曲権利を所有しているといわれている
バーニング社から権利を取り戻したのは例外中の例外であろう。

ただ、その譲渡が行われた当時は、元所属事務所サイドとのトラブル があった模様である。


4 総括、日本における音楽著作権利について

いわば、日本の歌謡曲と呼ばれる音楽シーンは戦後の復興とともに急成長した産業である。
そのため音楽著作権利に関するルールやCDリリース手法についても、
終戦後に一度リセットされた100年満たない業界であり、
公正な点があるか否か等、未成熟な数多い点も存在するであろう。

音楽著作権利、特にJASRACによる使用料の徴収委託が目立って世間に知られるようになったのは、
1980年代後半から始まるカラオケボックス店舗の普及後だと思われる。

それ以前1970年代から始まる「8トラ 」と呼ばれる単なる「カラオケ装置 」の時代には、
店舗レベルの楽曲使用料の請求が行われていたとは思われない。
それ以前の生バンド による伴奏で歌うような1950年代以降の時代も同様と思われる。

かつては音楽著作権利というものは、レコード販売に付随するものであり、
決して市民生活において目にするような存在ではなかったはずである。
しかし、カラオケ文化や携帯電話の普及による着信メロディー、
iPodやiPhoneを代表とした音楽再生プレイヤーの普及により、
音楽著作権利を用いたビジネス市場が個人レベルまで広がったのは事実である。

また、冒頭に記した音楽著作権利の消滅した楽曲に消費者ニーズが少ないのも注目すべきであろう。
消費者はリリースされたばかりの楽曲ばかり注目し、
一世紀前の楽曲には見向きもしない点は文化として発展してない未成熟であるともいえる。
日本にはクラシックやジャズにおける名曲は童謡や民謡ぐらいしか存在せず、
発表されて間もない楽曲を消費しているにすぎない文化だと思われる。

YMOやサザンオールスターズに代表される日本戦後歌謡曲の名曲が、
これら版権ビジネスによって文化の広がりを阻害されることになって欲しくないと、
ただただ祈るばかりである。

果たして百年後、二百年後に、私たちが存在しなくなった日本において、
平成のヒット曲が国民の記憶に残っているかは大きな疑問である。