一部の「保守」の人たちの言論の特徴は、
日本が好きと言いながら、なぜか「戦後日本」のことは嫌ってる風なところだ。
不思議なことだ。
だってほとんどみんな、戦後生まれの戦後育ちでしょう?
戦後日本しか知らないはずなんだ。
なのに自分の生まれ育った戦後日本を嫌悪して、
「戦後日本ではない日本」
という、自分が一度も経験したことのない未知の日本を目指している
これ私には、「気の滅入る自虐」であり「恐ろしい革命思想」にも思えるんだなあ
愛国と言いながら、自分が知っている唯一の日本である「戦後日本」のことは嫌悪している。
彼らの「愛国」は実は、自己肯定ではなくむしろ、自己否定なのだ。
戦後を嫌悪する、という形での「自虐史観」なのだ。
「過去の戦争を反省し、真摯に自己批判をする日本人」
こういう反省の表明は、戦後の日本の知識人たちによりしきりに行われてきたことだが、あなたはこの日本人を、どう思いますか?
私はとても美しく尊敬すべき行為だと感じる。
自己批判とは賢明な行いであり、気高い行いでもある。
自己批判には勇気がいる。
でも自己批判できない個人、自己批判できない組織が成長できないように、自己批判できない民族に未来はない。
自己批判は、賢く誇り高い行いである。
でも、そう感じることのできない人々がいる。
この日本人を嫌悪する人々がいる。
それは、自虐ではないのか?
私は戦後日本しか知らない。
そしてこの戦後日本を気に入っている。
自由で、平和で、豊かで、誇るべき戦後日本だと思っている。
戦後生まれの日本人すべてにとって、戦後日本を保守することこそが、「保守」なのではないだろうか?
安倍政権の教育基本法改正も、秘密保護法も、共謀罪も、改憲も、私たちの大事な戦後日本からの逸脱だから怖い。
戦後日本人ならそう思うのが普通じゃないだろうか。
改正教育基本法は、制定から10年も経ってから「パン屋を和菓子屋に書き換え」という奇怪な形で国民の前に表出した。
数々の「戦後からの逸脱」法案も、年月を経てから(かといってうんと遠い未来ではない程度の未来に)、国民の前に表出するのだろう