女帝が未婚の理由は道鏡防止(夫の家系による天皇家乗っ取りの画策防止)であることは、男系論者も女系容認派も論を俟たない話でしょう。

 

だが男系論者はなぜか、これが女系天皇の血統としての価値がないことの理由だ、とする。甚だおかしい理論である。

 

近代女帝の未婚は道鏡防止、すなわち政治的な意味での乗っ取り防止だった。

生き馬の目を抜くような、立憲国家成立以前の武力社会日本において、この措置はどうしても必要なものだったのでしょう。

 

そこでもう一度、考えてみよう。

なぜ、道鏡防止のために、女帝が未婚だったのか。

 

それはむしろ女帝の子に血統としての価値があるからこそ、武力社会においては、女帝の子が生まれてくるのが危険だった、と考えることができます。

 

女帝の子(女系天皇)に皇位継承権がないのが常識ならば、未婚を貫く必要はなかったのです。

 

女帝の夫のお武家だかなんだかが女帝の子を操るべく即位させようとしたところで

 

「いや女帝の子なんてただの人でしょw皇位継承権ないじゃんw即位なんてできるわけないですよ」

 

となるのが「常識」であれば、女帝の子の誕生を阻止する必要なんてなかった。

 

むしろ女帝の未婚措置は、女帝の子(母親のみが天皇の血筋)に皇位継承権が生じることこそ「常識」であり、それゆえに生まれてきてはならなかった、ということを示しています。

 

女帝の未婚措置は、男系血統論(女系は無価値なただの人思想)が過去に存在していなかったことの証拠です。