ショックドクトリンというのは、大惨事につけ込んで実施される過激な変革のことらしい。
たとえば911という惨劇が起きてアメリカではテロとの戦いが国民すべての賛同すべき事柄とされ、イラク戦争に突き進んだ。

邦人2人殺害は、日本にとって中東戦争参加の契機となり得るのだろうか?

ということを考えた時に、この、後藤さん家族お三方の言葉がすべて「戦争をするな」で共通していることに気付いた。


後藤さんのお母さんのコメント。
http://mainichi.jp/graph/2015/02/01/20150201k0000e040118000c/001.html
「しかし、この悲しみが憎悪の連鎖となってはならないと信じます」


後藤さんのお兄さんのコメント。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015020502000151.html
「殺りくの応酬、連鎖は絶対にやめてほしい。平和を願って活動していた健二の死が無駄になる」


後藤さんの拘束直前のコメント。
https://www.youtube.com/watch?v=TU7-VFMq32k
「私は何があってもシリアの人たちを恨みませんし、どうかこの内戦が早く終わってほしいと思っています」
「 It’s pretty negative but please don’t claim and don’t have a bad impression to the Syrian people. Syrian people are suffering three years and a half. It’s enough.」


後藤さんが何故わざわざ「シリアの人たちを恨みません」「シリアの人々はもう三年半苦しんでいる、十分だ(英語のみ)」というコメントを残したのか?

それは、自分の死が日本にとっての911、ショックドクトリンとして参戦口実に使われることを恐れたのかもしれない。

今回の三人の犠牲者に対する殺戮行為はYouTubeによって世界に配信され、パイロット殺害にいたってはまるでハリウッド映画のような演出が施された。
まさに劇場型だ。

日本とヨルダンは、大いなる迷惑を被った。
日本とヨルダンは、世界の耳目が集まるなかで、ISILに喧嘩を売られてしまったのだ。
特にヨルダンは、面子を保つためにも本格的にISILと戦闘しなければいけない状況に追い込まれた。


ヨルダンにとって実はISILの問題というのは、しょせんは隣国の内戦に過ぎなかったのに。
日本にとっての朝鮮戦争のようなものだ。

ヨルダンは正直、パイロットの死一つをここまで大事にしたくはなかったはずだ。

今回の人質殺害によって得した存在が、二つある。

一つはISILの中の、すぐにでも地上戦を始めたい好戦的な人々である。
もう一つは対ISIL有志連合の中の、すぐにでも地上戦を始めたい好戦的な人々である。

両者は今回の人質殺害事件以前から、既に地上戦に向けてアップを始めていただろうが、今回の劇場型人質殺害事件は、互いの戦意高揚に大いに役立った。

人質を殺し勢いにのるISILと、人質を殺され勢いに乗る有志連合。

この熱くたぎる互いの戦意に水を差す言葉が、マザーアースとその息子達wのある意味「空気読めない発言」なのである。


さあ日本はどうするか?

熱くたぎって、泥沼の中東対テロ十五年戦争についに巻き込まれるのか?

水を差され、頭を冷やし、いままでどおりの平和主義を続けるのか。


日本は選択の岐路にある。



ところで、地上戦を始めるにしても、英米はなるべく自国の兵を参加させたくないだろう。多数の犠牲者が出るからだ。
できればヨルダンなどの周辺国に地上戦はお任せしたい、というのが本音ではないだろうか・・・。
もしかしたら「地上戦お任せ」の矛先は日本にも向けられるかもしれない・・・。


この劇場型人質殺害事件、得した存在、損した存在、見極めが重要である。

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