前回、前々回がけっこう重たい内容になったので、箸休めに思い出話を語ります。たぶん、昔も書いたけど。改めて。

 ・初恋
 人の気持ちとかよくわからん。ガールズトークも苦手。小学生でも同級生が「誰が好き〜?」ってトークが出ますが、恋心なんてよくわかんなかった私はテキトーに幼馴染(田舎だからほとんどみんな幼馴染)でわりと放課後も遊ぶ男子の名前を挙げてのらりくらりしていました。

 そんな私でもほのかな恋心を寄せるようになったのは、中学生のとき。男女混合で練習することも多かった運動部で、小学校から同じく持ち上がりで進学した同級生の男子と馬が合う感じで、野外学習などでも同じグループ組もうぜ!となるような仲だった彼のことが好きになりました。

 でも付き合いたいとかいう欲求はなく、ていうか「付き合うってなに?」と、精神年齢の低い男子みたいな思考だったので、でもちゃんと思ったことは言わないと気が済まない私は、中学の卒業で進路が別れることとなる彼の家に行って、「実はずっと好きだったんだ〜。でも高校違うし、付き合いたいとは思ってない。これからもまた遊べたりできるときがあったらよろしくね! ばいば〜い。」と、告白だけしました。

 そんな彼とは、もう一人一緒に仲が良かった男の幼馴染と大学生になってから就職して序盤のころまで、当時よく使われていたSkypeで近況報告や雑談し合う仲になりした。おのおの遠方住まいだからですが。

 その時に、「メイが卒業式の日に告白してくれて、こう言ってくれてさあ・・・すごい漢らしいっていうか、なんていうか。感動したよね、俺。今でも良い思い出なんだよ。」「そんなこと言ってたのメイ!?」「言うなよ〜。ま、Bに知られることぐらい別にいいけどさー。A、あの時びっくりしてるだけだったから、そんな思い出美化しるとは思わなかったな〜。」というやりとりもあり。

 そんなAは、当時は学力も高くて地元で一番良い高校に進学したし、部活の時も主将やっていたし、ユーモアのあるパーフェクトヒューマンだったのですが、大学も有名どころに進学したものの留年するという落ちぶれよう。なんとか遅れて就職できたものの、「メイ、東京にも行けるとこ住んでるんでしょ。俺、出張で東京行くから。東京案内してよ。で、泊めてよ。」「え〜? 東京なんてほとんど行ったことないよ・・・電車で行けるだけだし。」「まあまあ。じゃあ一緒に観光しようよ。浅草とか行きたいし。」と仕事終わりに観光し、なぜか私の家に泊めることになり。「客用布団なんてないよー。」「ベッドでいいじゃん。」と一人暮らしだけど広い方が好きな私はセミダブルなので「まあいっか。」と一緒に寝たところ、案の定据え膳食わねば状態の幼馴染が手を出してこようとしたので、「(今はおまえのこと異性として好きなわけじゃねーんだよ。)」とスルーしてやりました。男はこれだから。若手の頃はガツガツ肉食系女子だったけれど、逆に関係性ができている相手とそういう関係になりたくなかった。※昔はぶっちゃけ性欲旺盛でワンナイト、みたいな爛れたこともしていましたが、今は薬の影響か夫婦生活がほとんどなし。それでも夫とは仲良し。

 そこで拒否られたのがショックだったのか、それ以降連絡を取ることはなくなりましたが、いまだに彼は当時観光していた時に撮ってあげた写真をLINEの待受にしていました。思い出好きだなぁほんとに。と思いました。


 ・モテ期
 高校生になったとたん、モテ期が到来。自分で言うのもなんですが、私の顔面偏差値はクラスで良くて2番目〜4番目とか、そんな感じらしいです(クラスの友達曰く)。太ももと脹脛は部活の影響で筋肉でごつかったけれど。

 入学して1週間目に、同じ高校に入学していた、当時はすでにヤンキーへと変貌していた幼馴染に「メイ、ちょっと来て」と呼び出されました。幼馴染Cは、私を遠くの男子トイレに押し込むと、そこには幼馴染Cのようなヤンキーが5人くらいたむろしていました。「(なにされんだろ私)」と疑問に思っていると、中央にいたヤンキーが「メイさんのこと、一目惚れしました。メール(当時はLINEなんてのはない)アドレス交換からお願いします!」と頭を下げられました。幼馴染Cが「ん!」と促してくるので、仕方なしに交換。クラスに戻ったら、友達(まだなりかけ)に囲まれて「どうしたの!?」と聞かれて、「なんか男子トイレでヤンキーに告られた。」と言うと「ヒョー!」と盛り上がっていました。でも、まだ恋愛に興味がなかった私はメールを疎かにしていたので、「脈なし・・・。」と判断されて、いつの間にかメールもこなくなりました。一応幼馴染Cに確認したら、「お前のそーいう冷たいところ、よくないよ。」と、なぜか責められました。

 他にもお菓子作りにはまっていた学生時代。これは小さい頃から託児されていた、近所の幼馴染のお母さん(第二の母だと思っている)が栄養士免許をもっていて、料理上手だったから。預けられつつ、(幼馴染は年上男子なので不在)料理を教わりました。なので、バレンタインデーに、クラスの全員に「お返しはいいから〜。」と、たしか、ガトーショコラかマドレーヌ? を配りまくりました。

 すると、「メイさんの家庭的なところがいいな〜って思って。良かったら、付き合ってくれませんか?」と同じクラスの男子が釣れました。その時は「(ん〜。潔し! 私もそろそろお付き合い、体験してみたい。)私はまだDさんのこと好きとかじゃないけど、それでもいいならいいよー!」と初めてのお付き合いに至りました。


 でも、初デートで街中を歩いている時に、彼が飲み歩いていた缶コーヒーの空き缶を塀の上に置いて、「え。そこに置くの?」となり。そういうマナーもルールも守れないような輩が嫌いなので、「Dさんがそういうことする人って知って嫌になった。別れよ。」と振りました。1週間のお付き合いで、お手ても繋ぎませんでした。Dさんはめっちゃ落ち込んでいました。ざま。後悔してこれからはちゃんとしろ。


 スクールカーストみたいなもんでもないんですけども、いわゆる一軍女子みたいに称されそうな、誰とでも仲良くできる、すごい明るくてバイタリティのある女子とけっこう仲が良くなりました。部活仲間だったのもあり、私の消極的な性格もあって、引っ張ってくれる(振り回されている?)感じでありがたい女子。そんな子に、「幼馴染にメイの写メ見せたら、『この子可愛い付き合いたい』って言い出してさー。だから、幼馴染の高校の友達と合コンすることになったから! よろしく〜。」と、強制イベントが発生。


 高2の夏ごろでした。相手の写真を見ると、ホストみたいなツンツンヘアーに金髪だか茶髪。工業高校って髪型指導ないんだ〜。ていうか見るからにDさんみたいな倫理観ぽそうでやだなー。でも友達が「こう見えて根はいいやつ!」って言うからなー。と、あんまり乗り気じゃないものの、5対5の合コンを実施。


 街中を歩く時、あえて2人並びになるように促されて色々とお喋りしてみたけど、顔は可愛いけど私は塩顔派。それに根はいいやつと言っても、なんかやっぱりDさんみたいな、真面目さが感じられない雰囲気。髪型のせいかな〜。と思いつつ。


 すると、だいぶ日も暮れてきたころに「ご飯食べに行こー!」とファミレスへ移動していると、別の長身塩顔男子が隣にやってきて、「飴ちゃん食べる?」と、ポケットから飴を出してくれました。


 私、今の旦那と付き合う時に気づいたんですけど、「物をくれる人に弱い」んです。「あ、いい人!」ってなっちゃう。で、その塩顔男子といろいろと喋って、塩顔男子から「今度花火大会あるよね。一緒に行きたいな。」「いいね〜。浴衣とかめんどいから着ないけど、それでもいいなら。」「ほんと? じゃあメアド交換しよ。」とやり取りし。


 で、帰宅後に塩顔男子から「メイちゃんのこと、幼馴染ヤンキーが狙ってるとは思ってたけど、俺もいいなって思って。俺と付き合って欲しいな。」とズバッと言ってくれたので「(下手な駆け引きしないところがよし!)オッケー! よろしく!」となり。幼馴染ヤンキー君から「塩顔男子と仲良くなってるとこみて、付き合うんだろうな〜ってのは感じてた。報告も受けた。残念だけど、俺とは合わなかったってことかなって思うことにした。あいつホントいいやつだから、俺としてもおすすめ! 仲良くしてやってな!」と、根がいいやつってのはこういうところか〜。と感心し、「応援ありがと! 幼馴染ヤンキーくんもいい人だから、もっと似合う人と出会えると思うよ! ありがとね〜。」と返信しときました。


 で、この塩顔男子とは2年、3年くらい付き合いました。彼は就職、私はちょっと遠方の大学に進学。休日のたびに車を飛ばして私のアパートに来てくれたり、会いに行ったりとしました。彼のご両親はすごく優しくて、お母さんがとくに料理上手で、私がバスで彼の家に行ったあとに帰路につくときには「これ、バスん中で食べてね。」と、使い捨て容器にお弁当を詰めて持たせてくれるくらい。彼の弟は超オタクだったので私との接触は控えめでしたが、「だんじょだんだんだんじょ」という、当時ニコニコ動画(もうそろ年齢がばれそう)で流行っていた曲を私の前で踊って披露してくれるくらいに気を許してくれました。お父さんは寡黙ですがいつもニコニコしてました。


 塩顔男子は仕事も忙しいだろうに、毎週会うようにしてくれていて、しかもプレゼントも定期的にくれて(ぶっちゃけセンスは悪かったけど)、倫理観とかも一致していて良かったのだけども。それが大変だったのか私がワガママだったからか、理由を言ってくれずに大学2年の時にフラれてしまいました。


 その当時、ちょうど不妊症と診断されたばかりだったので、「私がワガママだから? 不妊症だから?」と聞いたものの濁されたので、不妊症だからかなって思うようになりました。結婚しようねって言ってたので。(それもきっかけで当時から今の夫と出会うまで『生涯独身主義』を掲げるように)


 めっちゃ鬱っぽくなり、なんとか大学には通っていたものの、医療系の講義を受けた時に教授から「あなた自律神経失調症ね」と診断されました。ナーバスになりすぎて、近所のスーパー(自炊していた)に買い物に行っただけで倒れることも。


 アパートの隣の部屋に、高校時代、部活で同期の男子を「大学近くの専門学校に通う? じゃああんたも私と同じアパートに住め!」と強引に住まわせていたので、同期男子がメンタルやばやばの私を支えてくれた(惚れっぽい性格だから、高校の時点で同期女子全員に恋心を抱いたという人間。でも無害な人なので安心して頼れる存在でもある。)ので、なんとかしばらくしてから吹っ切れることができました。


 ちなみに、同期男子の部屋は同じ専門学校生のたまり場になっていたので、たびたび上がり込んでくる私に惚れたらしい後輩男子がいたそうなのですが、「いまは恋愛する気ナッシング」と同期男子にテコ入れされたときに伝えてなかったことにしてもらいました。


 フリーになった私に、大学の同期がデートに誘ってきてアピール(音楽専攻の私の前で、練習したというピアノ曲をたどたどしく弾いたり)してきて、同期の友達に「Eくんってぜったいメイのこと好きだよね〜。」と言われたものの「私いま恋愛したくないし・・・しかも、めっちゃ遠回りにアピってくるじゃん。私、ズバッと言ってくれる人のが好きなんだよね。『私のこと好きなの? でも付き合う気ないんだー。』とか自意識過剰なこと言えないし。でも遊びに誘ってくるし。さっさと告ってくんないかな。そしたらEくんにも無駄な時間使わせないのにねえ。」と悩み相談したことも。


 そんなEくんもやっとこさ告白してくれる日がきて、それがめちゃくちゃロマンチックな場面設定。河川敷で夕陽のなか、「メイのこと好きです!」というやつ。


 これは私が悪いんだけど、ほんとに悪いんだけど。Eくんにとっては見る目がなかったって話な?だけど。


 「私、こういうロマンチシズムある感じって好きじゃない。外堀埋めて告白の成功率あげようみたいな回りくどいやり方も好きじゃない。だからEくんとは合わない。」


 って、辛辣にフッてしまったんですよね。当時は塩顔男子のことを引きずっていて殺伐とした心境だったとはいえ、悪かったなあ。と思います。



 ・夫との出会い

 夫とは、対外的には「ナンパ」と言っています。深掘りしてきた人には、夫と打ち合わせた具体的なエピソードを伝えています。でもほんとはマッチングアプリ。


 教員が出会い系みたいなのはよくない。でも、興味が優ってしまった。


 使ってみて1週間も経たずに夫とマッチングして、すぐにLINEでのやり取りに変えてしばらく雑談や身の上話していると、わりと気が合いそうと思い。そこで、ディナーに行くことに。そこでも気があって、帰りに送ってもらった際、「あ、これ親戚からたくさん送られてくるやつ。おすそわけしようと思って。」と、とある名産品をくれました。


 上記にも書きましたが、私は「物をくれる人に弱い」ということに、ここで気づきました。「物くれる」=「いい人」という、謎の方程式が成り立ったのです。


 なので夫に「家上がってく?」と誘い、交際に関しての価値観「結婚する気はない」を伝えた上で「付き合いたいって思う?」と聞いたら「付き合いたい!」とのことだったので、交際スタート。映画趣味な私に合わせて(夫は雑談の中で「俺も映画趣味!」と言っていたけど、アレは私に好印象を抱かせるためのうそだなと思った。普段からアニメかコメディ映画以外ほとんど観ないし。グロゴア系は無理。)、翌日も映画を観に行きました。


 夫は車持ちだったから、活動範囲が広がるのっていいなー楽だなーと思いました。私は運転下手なので。


 夫も交際だけのつもりだったそうですが、ゴールデンウィークに交際し、私の夏休みに入り。夫が高熱を出して寝込むという事態に。


 夫の住まいは私の住まいよりやや遠く、電車込みで1時間くらい。でも、夫はブラックで給料の低い会社でこき使われていたから、今度は私が金曜の夜になったら夫の部屋に行って、土日はボランティアの部活指導で不在の中を家事(当時はADHDがひどくてかびだらけの布団があったり、埃まみれだったりと酷かった。)して過ごして、あとはDVDで映画やドラマを観て帰りを待つ生活でした。


 そんな夫の家で看病して二日間くらい、徹夜で下がらない熱に「痙攣とか起こし出したらえらいこっちゃよな。」と感じて、色々調べたものの、最初にかかった病院で出された薬でそろそろ解熱してもいいころなのに、ずっと8度から下がらず。


 こりゃセカンドオピニオンが必要だろう。となって、「車、ぶつけてもいいなら私が運転する。とにかく、これ普通の風邪じゃないから病院行くよ。」と病院に連れ出そうとすると、病院嫌いの夫は最初嫌がっていたものの、「俺が運転する。だから無茶言わんでくれ。」とセカンドオピニオンに了承し、改めて行くと、やはり別の感染症のせいで薬が効いていませんでした。その翌日には、職場で夏休み中に実施しているイベントの手伝いに行かなきゃなかったから、ちょっと焦りました。


 薬がすぐに効いて一日でほとんど復活。じゃあ私仕事あるから、と夫宅を出て、ほとんど徹夜状態でイベントの手伝いをして。へとへとになったものの、この時のことがきっかけで「メイ、頼りになる。結婚したい。」と思うようになったらしく。


 それ以来、事あるごとに「結婚したいな〜。」と呟かれるようになって、何度も言われると刷り込みのように「そんだけいうなら結婚するか!?」と思うように。


 「結婚するにあたり、子供は作らない。住まいは私の職場優先。挙式は無理。それでいいなら結婚してもいい。どうすんの!?」と詰め寄ると、「それでいいです・・・。」と言われ、「じゃあ、交際一周年に、改めてちゃんとプロポーズして婚約ね! 入籍は夏休み中だと手続きだのなんだのの余裕があるから8月ごろね! ちなみに婚約指輪なんて使う機会ほとんどないもの買うなんて無駄だから、いらないからね!」と言って、強引に結婚までのストーリーを決めました。


 そうして結婚した夫のことを引っ張り、支えていたのは病気になるまでのことでしたが、元来、奉仕精神(がなきゃボランティアでコーチなんてしないよな)の強い夫が精神疾患を支えて休むようにしてくれて、と、おんぶにだっこが逆転しました。


 でも、こうしてみると、夫は転職でブラックは変わらないけれど給料はかなり上がったし、転職のおかげでわりと購入した分譲マンションからでも通勤しやすいし、私っていわゆるアゲマンでは? なんて思ったり。


 精神疾患でかなり振り回してはいますけど。でも、「今通っている病院、なんか対応へんなんだよね」といえば同伴して「こんなところ通ってもよくならない! 転院するぞ!」と怒りつつも判断し、休職に悩んだ時も「今はやっぱり休んだ方がいいよ。俺、稼いでるしな! 収入が減っても、なんとかなるなる。」と励まして決断を促してくれたり。障害に関する本も読んで、自分のADHDも私のASDや精神疾患も勉強して、改善できるようにと努力してくれています。


 夫にとって誤算だったのは、結婚時の条件で「私、料理は嫌いだから(教わっていたから何でもある程度作れるけれど、働きながらってのはしんどすぎると気づいた)(独身時代は自炊して、夫にも振る舞っていたけど)。結婚したら料理しないからね。」との言葉に、「まさか本当にまったく料理しなくなるとは思わなかった。」と言っていました。有言実行ですよね。


 とにかく、夫は顔は醤油顔。てうかゴリラに近い。ハゲやすい遺伝で、すでにてっぺんを中心にハゲ散らかしつつある。食べるものもよくないし、運動する余裕もあまりないからメタボ。毛も濃い。


 でも、いつも表情筋の動かない私に対して、素っ頓狂な言動で笑わそうとしてくるし、私のリクエストにはほとんど対応してくれる。電車に乗るの怖いから美容院の送迎してとか、カラオケ行きたいとか、最近病院のことで思うところあるから通院に同伴してほしいとか、働きながら闘病していたときに発作時、迎えにきてくれたりとか。


 なので、夫と結婚して良かったなあ。とはしみじみ思っています。それもこれも、色々な恋愛経験が糧になっていたのかな。と思えば、今までのお相手たちにも感謝だな。と思います。