↑とある日の夫起床時の私の上に並んで乗っている猫2匹。合計14キロ。
私がいわゆる「モンスターペアレント」と呼ぶのは、「何を言っているの・・・?」と思った時。
そういう方に遭遇するのは、年に一回あるかないかぐらい。
お子さんに対して過保護ゆえに、過剰要求してくる方もいますが、そこは「お気持ちは分かりますし、私もお子さんのためになることならしたい気持ちはあるのですが、それは学校のシステムやルールとして難しいです。」と断るようにしています。逆に自分の範疇でできる範囲のことなら、子どものためならやります。
例えば、ASD診断されたお子さんを受け持つことがありました。その子はギフテッドもあって、口が達者です。そういう子って、ぶっちゃけ一部の教員からは「受け持ちたくない」と思われます。反抗的な態度を取られることがイヤだからです。私も若かりし頃は反抗期なお子さんの態度に翻弄されたこともあります。そのお子さんは前担任と、職員室で怒鳴り合いの喧嘩をしているのを見たことがあったので、正直、私に対してもそういう態度を取られたらイヤだなあ〜という一抹の不安はありました。まあ、その担任は私が嫌いな教員で、「イイ歳して子ども相手に対等な喧嘩してんなよ・・・。」と呆れましたが。
でも、私は自分が同じくASDで、診断されてからというもの、自分のことを勉強するためにも仕事に役立たせるためにも発達障害については、他の教員よりも勉強して理解している、というか当事者意識が強い。
その当時も闘病しつつでしたので、保護者対応に苦慮するお子さんや不登校児童はなるべく配置されないように配慮してもらっていました。放課後連絡などで時間的拘束が多くなるからです。
代わりに、発達障害の疑いありの児童を積極的に引き受けていました。その一貫で、その該当児童も受け持つこととなりました。
保護者の方からは、年度初めすぐに面談を行って、個別支援計画(どこの自治体もそうなのかは分かりませんが、基本的に支援級対象児童に作る、半年ずつ見直しながら毎月支援と結果などを記録していくもの。私の所属自治体では保護者の希望に応じて普通級でも作成しています。)内容の確認と、保護者の方からお子さんに対して、どういった対応をして欲しいかという書類を渡されて、話し合いました。保護者の方を安心させるために、「親族にASDの人がいまして。それゆえに、私は個人的に勉強していますので、ASDについてそれなりに理解しているつもりです。お子さんが楽しい学校生活を送れるように努力しますね。」と伝えて、学校生活スタート。
自分もそうだから、子ども時代の自分の思考回路を思い出しつつ、「この子は、納得のいかないことを受け流せないだろう。何事も必ず理由を説明するように心がけよう。」ということを決めて、当該児童だけではなく、他の児童に対しても接するように。当該児童はいつもイライラしていたようなお子さんでしたが、理由がきちんとあれば反抗することは一切ありませんでした。私でも納得のいかないような学校のルールについても「先生もね〜。これについてはこうした方がいいって思ってるの! でもねー。先生じゃ変えられないルールでさあ。ごめんだけど、この通りにしてくれると助かります!」と言えば、「仕方ないね〜。」と納得してくれるように。そして、話を聞いて欲しがりさんでもあったので、朝イチで一声かけると、趣味に関することをばばーっと喋り倒し、満足。こうして良い関係性が築けて、授業中には鋭い意見を出して「いや〜。さすがAさん! そこに気づくとはね! Bさん、Aさんが言っていたことをもう一度説明することできる?」といったように、授業の活性化に一役買ってくれる立場となって、承認欲求も満たされたようでした。
この件は、「あれ。理由を説明するって、この子だけに効果的な指導方法じゃないな。」と気づいて、私にとっても良い体験になり、保護者の方からは「うちの子が学校が楽しいと言っています。ありがとうございます。」と言ってくれて、保護者の方の「ありがとう」はやっぱり嬉しいものでした。
他にも、学業不振に過剰に心配している保護者の方がいて、
「う〜ん。Cさんはおそらくですが、文章読解力が少し遅れているため、テストなどで文章を読み、理解するのに遅れてしまうがゆえに、テスト時間内で問題を解ききれていないと思います。でも、漢字テストでこの点数がとれているから、視覚情報に難があるディスレクシアといったような状態ではないかなと。読書量を増やすことができたら、自然と理解力が高まる可能性はあります。でも、お母様が気になるのでしたら、Cさんが何にどうつまずいているのか分かるようにするための、ウィスクという心理検査を行うことができます。手続きに時間がかかるので、学校経由だと半年くらいかかる可能性はありますが、やってみますか?」
「はい! そんな検査があるなんて知りませんでした! ぜひやらせてみたいです!」
「私の分析より、よほど的確なアドバイスがもらえます。効率的な勉強方法が分かる方が、Cさんのためになりますからね。それまでは、お家に、漫画でもなんでもいいので、Cさんの興味のある本を用意してあげてください。でも、読むことは強制しないでください。大人でも子どもでも、『やりなさい』って命令されると、拒否反応が出ますから。お母様が一緒に本を読んで、「これおもしろかった〜。」って言ってあげると、興味を持ちやすいですよ。」
「読書嫌いなので、本屋さんに一緒に行きます! ありがとうございます、こういうアドバイスもらったことなくて・・・(泣)いつもなんで点数取れないんだとか、なんで最後まで解かないんだとか言っちゃっていました。できないにも理由があったんだなって思うと、なんだか安心しました(泣)」
「(泣いちゃった!!)そこまで思ってあげてること、Cさんも分かっていると思いますよ。やり方を変えたら、あっという間に変わることもありますからね。私も、他に良い方法がないか、様子を見て考えますね。」
といった感じで、個人面談で号泣されたこともありました。その保護者の方には、ほんとはよくないけれど、進級時に、わりと値段の張りそうな品を「本当にお世話になったので、こういうのはダメだとわかっていますが、どうか気持ちを形にしてお伝えしたくて。受け取ってください。本当にありがとうございました。」と、プレゼントしてもらいました。コッソリ。雑談していた時にリサーチされていて、私の好みのものを。
そういわれて突き返せるようなこと、できない・・・。
と、コッソリ持って帰りました。
物が欲しいわけではないですし、それは禁じられていること。だから、こういったブツをいただくのは心苦しいものがありました(証拠は残していないので一部暴露しちゃいました。)。手紙や、色紙(だと困るだろうと、メッセージカードをクラス全員分集めてアルバム形式にしてくれた子もいた)ならオッケーなんですけども。でも、その気持ちがすごく嬉しかったです。困りましたけれど、リサーチまでされて用意したとなれば、その熱意が伝わってきて、「頑張ってよかったなあ」と感慨しました。
年度末には、よく保護者の方からお手紙や連絡帳でお礼の文をいただくことがあります。修了式当日なんかだと、「※お忙しいでしょうから、返信は不要です。」と添えられていることも多いですが、それでも嬉しくて返事を書いちゃいます。
子ども達に感謝の気持ちを伝えられるのももちろん嬉しいし、バイタリティになります。でも、保護者の方からもそういったことがあると、けっこう格別だったりします。
昔、「やっべえモンペがいた」と記事にしたこともありますが、そういうのはほんと一握り。こちらもなんでもかんでもモンペ扱いはしません。悪さをしちゃったので指導し、そのことを電話連絡したら「あんた教師だろ! 教師ってのは学習を教えるだけじゃなくて、生徒指導も仕事だろ! ちゃんと仕事しろ!」と言われました。生徒指導の仕事したから、電話連絡、したんですけど・・・。というような、ほんとに「なにを言ってるんだ???」というような件くらいです。
それ以外のクレームに関しては、悪気があってすることはなくとも、私や学校の体制が悪かったということがあれば、「そりゃー怒るよね〜。申し訳ない。」と、反省して対応します。そして、それが糧となっていき、三十路を超えた頃くらいから、ほとんど保護者の方からクレームが入らなくなりました。モンペクレームにはたまに当たりますけどね。
誠実に仕事していれば、保護者の方もわかってくれる。それに対して、お気持ちの言葉を一言でも伝えてくれると、「がんばってよかったあ〜。」という、大きな達成感となって、「よっしゃ、またがんばろ!」となります。
今、財務省が「現場の業務削減が急務」と教育現場について発言していますが、それに対する文科省の新大臣のアンサーは、「それでは教育の質が落ちる。だから教員不足は給与アップでなんとかする。」とのことでした。
教育の質を上げるために、無駄を減らす方が先やろがーーーい!!!
と、私は思っています。
教員は仕事には見合わない給与体系だとは思っていますが、給与自体は必要なだけいただいていると思っています。そりゃ人間だから、お金があればあるほど嬉しいのは確かですけど。
でも、今のままでは、とうてい働き続けることなんてムリ。だから、業務削減を先行してほしい。子どもたちだって、文科省が新しいことを現場でやれって言うたびに、翻弄されているわけです。GIGAスクール構想、プログラミング導入、英語の教科化、道徳の教科化、キャリアパスポートの導入。ここ10年くらいで、こんだけのことを増やされているのに、何も減っていない。教員も苦しいけれど、子どもも苦しい。だから、もっとゆったりした環境でやらせておくれー!