私にも責任の一端はあるなと思った、学級崩壊事件。

 持ち上がりで学年を受け持つことになったとき、私は既に学年の会議にすらほとんど参加できない心身の状態だったので、他のクラスの子達のことをあまり把握していなかった。

 繰り上がりで受け持つといっても、学級は再編成する。その際には元担任達が作成した個々の資料をもとに、学力や運動能力の面が均等になりつつ、いわゆる「手のかかる児童」の配置は主任クラス、男性クラス、ほどほどのクラス(経験があれば講師でもOKレベル)、初任者クラス、中堅やベテランクラス、若手クラスなどなどと配分していく。

 ある程度そういった感じで配分した上で、事前情報で新学年にどんな担任が入ってくるか分かると、改めてバランスを変更することもある。

 この時、私は中堅だけど病気で早退することが頻繁にあるため、自立した子をメインにしてもらいつつ、発達障害児対応が得意だから、LD傾向やADHD、ASD傾向のある子を受け持つことにした。不登校児対応が苦手だったけれど、そこはベテラン先生が事前に受け持っていた子も多かったので不登校傾向のある子をまるっと引き受けてくれた。そして保護者理解も必要になってくるため、理不尽な(ごく一部だけど)要求をしてくるタイプの保護者の方の児童は除外してもらった。私も小学生の子を持っていてもおかしくはない年齢ではあるけれど、自分より年配の方が対応時に納得してもらえることが多いというのもある。

 元の自分のクラスには、広汎性発達障害のなかでもアスペルガー症候群に近く、支援計画もあった子がいたが、保護者とも連携して指導していった結果、「もう大丈夫そうですね。」「はい。支援計画も、もう無くして大丈夫です。」とやり取りもした児童がいた。

 代わりに、まだADHDで不安要素のある子や、HPS気味で不安を感じ易くて登校しぶりの過去のある子も引き続き受け持ちつつ、他クラスからはLD要素の強い子を多めに受け持った。

 他クラスだけど自閉症かつパニック障害を発生させている子が隣のクラスにいたので、その子の対応を当時の担任の主任と一緒に対応もしていた。その子は体格が良くて暴れてしまうと私では対応しきれないので、男性担任の担当になって、旧主任が「パニック時の対応はメイ先生と一緒に行うように」と引き渡しに記録しておいていた。

 なので、私は「うちの学年で目に見えた困り事を抱えているのは、その子くらいかな〜。」と思っていた。

 しかしながら、「ほんとにこんな人が教員でいいのか?」「いつかニュースに載るぞ?」と思うような旧担任が、引き継ぎ資料にまともに子供の情報を書いていなかった。他の旧担任が把握していたのか分からないけれど、野放しにされていたような子達が、新主任のクラスである種悪い意味での本領を発揮してしまった。

 新主任のクラスは隣にあって、小さいお子さんもいるので朝の出勤が遅い。運動会を終えるまでは様子見している子も多かったけれど、それからが大変だった。

 新学年主任は良くも悪くも「子供に甘い」タイプの指導の仕方をするので、年上で私より経験年数があるから心配要らずと思っていたけれど、気がついたら学級崩壊していた。

 私が元々受け持っていたアスペルガー症候群要素のある子も学級にいたので、事前に「あの子は調子に乗ってしまうと、他の子を押しのけて自己中心的な言動を取るようになるので、厳しく接しないといけないと、保護者の方からもそうするように要請されて指導していました。」と助言を呈したけれど、「私のやり方でやるんで〜。」と受け流されてしまいました。結果、その子は、せっかく周りを慮れるくらいにはなっていたし、自己中心的な言動をしても反省できるくらいには成長していたのに、「あーうー。」と、喃語で話したり、面倒なことから逃げるようになって授業中の立ち歩き、嫌なことがあればすぐにかっとなって机や椅子を蹴り倒しだすようになった。「昨年そんな赤ちゃんみたいな言動していなかったじゃん!?」という態度。学力も高いから、本気でそんな言動を取れるような子ではない。もちろん、暴力行為だってなかった。負けず嫌いが過ぎて、競走事の時に妨害行為をするというような側面はあったものの。暴れたことはない。

 それは他の子も同じで、昨年には見られなかった態度を示す子が本当に多くなった。同じように赤ちゃん返りしたような言動を取ることが多く、廊下で寝そべってイヤイヤする子までいる。わんわん声に出して泣く子もいる。常に授業中に立ち歩いている子が四〜五人いる。タブレットで遊んで、それを取り巻いて盛り上がっていて、完全な「学級崩壊」。

 それもこれも、愛嬌のある男児に対して、「赤ちゃん扱い」するように「◯◯ちゃん」と、あだ名で呼んで甘やかし出したのがきっかけ。その子が喃語で話し、パニックも起こす。立ち歩きも始めたのは彼が最初。学年で集まる時に、パニックを起こす子が複数人いるし、指示に従わずに自由に歩き回っている子がいることに驚愕。

 こういう素質をもつ子を把握していなかったのは旧担任として、学年会議に参加していなかったから、主任のクラスに集結してしまったのは悪かったな、と思った。主任も手に負えなくて、病んでしまった時期があり、翌年は役職を解いて(解かれて?)いた。

 私は学校から合理的配慮で午後に専科の授業を入れたり、サポート教員が配置されるようになったので(定年再雇用のベテランさんでよくしてくれる人。なんでもやるよと言ってくれて、主にテストをお願いしていた。たまに行事関係で授業進行が遅れ気味の時は算数の授業や図工の授業の監督もお願いできて、テストも丸つけまでしてくれてかなり助かった。)、「午前はがんばろう」と朝は早めに出勤して自習になっても大丈夫なように教材を用意しつつ、安心した学級づくりのために朝は子供を教室で受け入れられるようにしていた。

 けれど、主任クラスで毎日のように朝から暴れてしまう子がいるので、旧担任と隣のクラスということもあいまって、当該クラスの児童に「メイ先生! ◯さんが暴れてます!」と助けを求めにくることが度々。

 こうなってしまったのは、やはり、一人の児童を猫可愛がりするような態度を示してしまったのが問題だったと思う。「あ、そういうふうにやってもいいんだ。」と、他の子達も引きずられて流されて、自分にとって「易い」方向に流されてしまった。

 翌年は改めて、問題行動をしていた児童たちをばらけさせた学級編成をしたことで、今は問題なく立ち歩きなどもせずに過ごしているという。一番初めに「甘え」出してしまった子は、しばらくの間、教室の飛び出しがあったけれど、それも暫くしたらなくなったとのこと。

 結局、一人で赤ちゃん返りするようなことはできない性格の持ち主たちで、発達障害かな? 精神疾患かな? と議論されてきた子達ではあったけれど、結局は「環境のせい」だっただけだった。

 だって、前年度に教室を飛び出す(というよりも、他害にならないように教室から出していた)のは、本当に自閉症とパニック障害に悩んでいる子だけだったから。その子も、当初は呼び出されて対処に追われていたけれど、どんどん落ち着きを取り戻した。後期には私も呼ばれることはなくなった。男性担任と相性がよく、男性担任自身も指導力ある人だったから落ち着いたのだと思う。

 主任のクラスの子達は不遇な年を送ってしまったなとも思った。主任も、学級崩壊したのは辛かっただろうけれど、ある意味自業自得。私は助言したけど、年下で病気の私の言うことに従うのはプライドが許さなかったと思う。私も指摘されることが嫌いだから、その気持ちは分かるけれど。でも、自分が招いた事態であることは分かったのかな。と、今の当時の子供達が安定して過ごしている状況を見ていて、思った。※新学級の人とわりと親しくしていたので、情報が入ってきていた。

 学級編成をいかにしっかり考えることが大事か分かった件でした。といっても、ヤバい思考の人が情報をきちんと開示していなかったのも問題だったけどね・・・。少なくとも、ヤバい担任だから「ちゃんとしよ」と、当時のその子達は過ごしていたのかなと思いました。私が病弱で頼らないから、頑張ろうと学級の子達が奮起してくれたのとある意味同じですね。



 ※蛇足


 トラウマを刺激されて発作的に自殺未遂に及んでしまった主治医との面談がありました。主治医が悪いというわけではないのは頭では分かっている。気楽に雑談ができるようになってきていたから、私でも気づいていなかった「年配の男性の医師による信頼のない発言(主治医にとっては冗談のつもりだったはず)」が、中学生の時に月経異常で産婦人科をたらい回しにされ、ある「年配の男性の医師」から『そんなのたいした痛みじゃないでしょ』と言われたことがトラウマになって、大学生になって『重度の貧血です。病院に行ってください。』と健康診断で言われるまで、産婦人科に行けなくなっていた。以来、女医でトラウマを打ち明けて理解してくれる医師じゃないと無理になった。という体験を想起してしまったのが原因。


 夫を伴って精神保健福祉士さんとカウンセリングから始まったけれど、精神保健福祉士さんとは普通に話せると思っていたのに、びっくりするほど何も話せなくて、最初は何か聞かれても声が出せなくて、自分でも困惑。なんとか、現在の困り事である「胃炎と逆流性食道炎が悪化して、頓服で出してもらっている薬が尽きてしまって困っている。」と、「保険関係の診断書を作って欲しい。」ということ、そして「主治医にクレームがあるわけじゃなくて、良くしてもらっていたのも頭では分かっているけれど、面談は怖い。」というのを伝えた。泣きながら。


 その後はビクビクしながら主治医と面談になり、こちらも最初は何も喋ることができなかったけれど、主治医が明るく「デイケアはどう? 仲が良い人できた?」と話をふってきたので、「あ、はい。昨日のリワークは風邪をひいて行けなかったけれど、タバコを吸う女性がわりといて。一緒に話をするようになりました。」「喫煙所あるの?」「喫煙所というか、軒下で吸える場所があって。」「あらー。色々と話せる人ができたのは良かったね。面白い施設だね。デイの方は?」「そちらは、行く時間や帰る時間が拘束されていないので、朝は起きるけれど、リワークよりはゆっくりめに行ってご飯食べて、自習用の本を読み終えたら早めに出たりしています。でも、家にただ帰るのはアレかなと思って、カラオケに行ったりしています。」「ちゃんと時間管理してるのねー。」「(夫)火曜のデイだと、タダでお弁当が出るんです。」「そうなの? それはみんな行きたくなるね。けっこう食べに来る人いるの?」「はい。わりと注文している人がいます。」「それはいいねえ。」


 と、私はかなりたどたどしく話していたのですが、あえて精神不安定なことには触れずに雑談やデイケアの話に終始してくれていて、助かりました。そっちの方に触れられると、何を言ったらいいか、ますます分からなくなって苦しくなるので。


 夫に対しても、「旦那さん、仕事忙しいんでしょ? 帰りも遅いとか。」「はい。妻の寝る時間が遅くなるのは、僕のせいでもあります。帰宅してから雑談してしまうので。」「うーん。それで躁状態になっているって自覚ある?」「(私)えーと・・・分からないですが、夫が帰ってくると、嬉しくなって色々話したくなって。それで、目が冴えてしまうのだと思います。」「(夫)そんな感じではあります。僕が早く帰れたらいいんですが、部署が忙しいところで。何とかしようとはしているのですが。」「それは難しいところだよねえ。遅く寝てしまう理由も分かりました。」


 と、夫とのことについても話をして、生活リズムについても理解してもらえたのかなと思いました。会話できる相手がデイケアでも一部の人だし、夫なら色々な話ができるし。猫とはお喋りできないし・・・。ここのところ、アオちゃんは朝方にやってきて、私にオケトゥ枕をしてくれるんですけどね。オケトゥを私に押し付けて寝ている。起きてお腹に顔を埋めたりして、朝から癒してもらっています。シロちゃんも寝室に来てくれるけれど、顔をベロベロとざりざりの舌で舐めてくるから痛いんですよね。愛情表現なのは分かるけど、寄り添って欲しいだけなの・・・。


 とりあえず、胃炎の悪化に対しては薬を頓服ではなく常用することで対処してもらいました。


 診察で身体がずっと強張っていたせいか、身体がガッチガチになって、疲れ切って帰宅してすぐに寝てしまいました。何なら吐き気があって、ストレス凄かったんだなと驚きました。


 でも、何とか主治医と関係も回復した感じがあって、良かったです。夫も寄り添って、診察内容もメモで記録しておいてくれましたし。


 まだ暫くは身体を大事にで過ごそうと思います。地味に来年度も休職決定していることがショック状態ですけどね・・・こんな状態でまだまだ復帰なんかできないや。ちゃんと働けるようにならないとですね。