体調を崩したのは診断されるずっと前から。メニエール症かもしれないとか、謎の腹痛だとか、しんどくてシャワー浴びながら叫んだり出勤前に吐き気でトイレから出られなくなったり。

 そういうのがありつつも、転勤した際に電車通勤になり、電車に乗ると謎の腹痛が出るようになった。

 毎日腹痛で、しかも教頭から「児童の登校に合わせて昇降口の開錠をしてくれ(始業開始時間はもっと後〜)」と頼まれており、それに間に合うように電車に乗るけれど一駅持たずに本当にお腹を下して下車する。

 それで間に合わないかも、ってことも多くて、電話で職場に「開錠間に合いません。」と入れる事も度々。

 内科を沢山回ったし、検査もしたけど問題なし。なんだろうな〜なんで公共交通機関に乗るとお腹痛くなるんだろう。

 校外学習でバスに乗る時も、「お腹痛くなったらどうしよう・・・。」と予期不安に襲われる毎日で、昔っからだけど不眠症も酷くなって参っていた。

 そうすると、とある内科医が「それは過敏性腸症候群というものの可能性があります。心療内科や精神科で診てもらった方がいいです。」と言ってきて、「えっ。精神疾患だったの?」と思いながら、初めて心療内科にかかった。

 そうすると、色々問診票に書いて面談したら、「うつ病です。パニック障害と、内科の先生が言っていたように過敏性腸症候群ですね。」と言われ、精神疾患系統の薬を服用するように。

 まあ、当時の働き方はほんとに酷かった。まだ少し若いから、DINKSで子供もいないからと、色々な事を押し付けられていた。

 校務分掌は「重い」と言われているものを担当していたし、病状が悪化した時はやりたい事しかやらない主任、無難に働く年配講師、小さいお子さんがいる人、不妊治療している上に小さいお子さんもいる人、あんまり初任者指導に面倒見てもらえていない初任者。初任者の人以外は女性で、初任者と不妊治療している人のクラスに挟まれていたけど、不妊治療している人は自分や子供の体調不良で急に休む。ラインで「こうしておいて」と連絡してくる。頻繁に休むなら、そういう体制を作っておいてくれたらいいんだけど、自習用のプリントなんかも用意しておいてくれないから、朝に言われた内容に合わせて自習プリントを刷るところから始めなきゃだし、自分のクラスと行ったり来たりで、連絡帳や宿題の処理をふたクラス分やる。主任はおっとり刀でギリギリにやってくる。初任者以外同じく。

 合同授業もしたりしつつ、午後は初任者のフォロー。愛される系ではあるけど、ちょっぴりぽんこつなところがあるので、「〜が心配ですぅ・・・。」と、何かと色々聞かれたり、教室が物理的に(自分で言ってたけれど、ADHDだと思うらしい)荒れまくっているから、環境整備の指導。通知表の作り方なんかも教えながら、『初任者指導の先生は何を教えてんだろ?』と思いながら、不安がる初任者のために授業参観や初任者の研修で行う授業の模擬授業もやっていた。一緒に9時〜11時帰宅があたりまえ。花金にはお互い誘い合って飲みに行く(死にそうな顔して「飲みに行きませんか・・・。」と言ってくる人だった。)。

 私は私で色々と仕事をたくさん振られる事が多くて、対応にてんやわんや。

 そのくせ、それぞれ立場的に校務分掌は比較的軽いものをもたされている学年メンバーが、学年会議(週一で基本的にある)ですぐに話を脱線させるもんで、早く仕事に移りたい私はイライラ。毎日のようにフォローしている不妊治療の方に「メイちゃん(年上だけど経験年数同じか私のが上くらいで、かつ、私はちゃんづけされるの嫌い)さ〜。さっきの会議イライラしてたでしょー。」とにやにや顔でイジってきて(「はい、じゃあそろそろ次の議題に移りましょう。」とイニシアチブをとっていた)、「(あんたのフォローがなければだいぶ楽なんですけどね〜〜〜!! お礼も言わないってどーいうこと〜!?)そう見えました? すみませーん。」と、あ〜私はガールズトーク? ってのがマジ苦手なんだなーと実感しました。


 で、診断がついたころのこと、やたら飲み会を開きたがる事なかれ主義な校長が転勤し、新しく転勤してきた校長が、かなりいい人だった。

 あんまり表情変わらない系だった方で「こわっ(人のこと言えない)」と思っていたら、話をすると気さくでユーモアもあって。校長としての地味な仕事もしっかり行う方で。その頃には発達障害も検査して判明したり、過労で強迫性障害も発現したり、パニック障害が悪化したりしていて。薬も増えていて(医者によるんだけど、薬をやたら増やす人にあたってしまったらしい)。

 「もう今の校務分掌、一人で抱えるにはキツイから、各学年から一人ずつ担当を振り分けて仕事を任せたいんです。私は女性との絡みが苦手なので、できたら中学年以上(女性は低学年になるほど多い傾向にある。逆もまた然り。)を担当したいです。今しんどいから、なるべく例年同じ学年を持つことで教材研究の負担を減らしたいです。」

 といったことを相談して診断書も提示すると、「分かった。希望を尊重する。」と言ってくれて。

 担当していた校務分掌の体制を確立してから、今度は「ベースは作りましたから、もう私が担当しなくても回ると思うので、違う校務分掌にさせてください。(兼任で他にも持っていたのを一つにしてもらったのもある)(と新しく受け持った校務分掌も前任者達が杜撰でデータで資料が残っていないようなもので、イチからデータで作る羽目になったけど)あと発作が起きてしんどいです。」と泣き泣き相談すると、「校長室を休憩室にしてくれていいから。やばかったら旦那さん呼んで帰ろう。メイ先生は学級経営上手だから、子供たちも問題なく過ごせるから大丈夫。困ったら俺のところに駆け込んでくれたら、後は対処する。」と言ってくれて、その通りに実行。

 校長室には、私専用のタオルケットとクッションが置かれて、発作で駆け込んだら校長自ら空いている先生に声を掛けて自習監督を頼んでくれるようになった。もちろん私も入った方に、翌日、お菓子を渡して「入ってくれて助かりました。」と伝えるようにした。

 それに、「全体にも周知しといた方がいいよな。どれぐらい伝えようか?」と提案してくれて、私が休み時間になると職員室などでダウンしていても触れずにしておいてもらうようにしてもらった。「大丈夫?」と声をかけられると逆に休めないので。

 校長室で休む時には、校長は「それ私聞いても大丈夫なんかな?」って電話とかしていたけれど、校長が転勤してから分かった。次の校長は引き継ぎで私が校長室で休む事があると知って、私が休んでいる時に校長室を不在にするようにしていたんだけれど、逆効果で。見守られていないと、わーっとなって自傷に走ってしまう。だから前校長は、いつも校長室を離れないようにしていたのかと気づいた。

 教務主任(この人にも無茶振りされまくったりしたけれど、その責任を感じたのかもしれない)も事態を重く見て、私の早退が増えているために午後は専科、サポート教員が配置されるようになって、午前はなるべくがんばって午後はいつ帰宅してもいいようにしてくれていた。それに、相性の良い、私をよく理解してくれていて、サポートしてくれる(特性が強く出るようになって聴覚過敏が酷くなり、会議にすら参加できなくなってしまったので、会議資料にメモ書きして引き継ぎしてくれる。他にもめまいで高所から落下して以来、「大怪我に繋がるから禁止」と掲示作業が禁止になったのを、その先生が中心になって掲示を代わって行ってくれた。天気痛に悩んでいることも悟って、天気が悪い日に「今日どうする? 午前持ちそう? ダメそうならやることやるよ?」と声を掛けてくれる。)人を、2年間引き継ぎ組ませてくれた。

 懇談会でも保護者の方々に、病名は伝えずに「身体を壊していて通院などで早退することが多々ありますが、子供達はしっかり育てます。私が不在でも問題ないような学級作りをしますし、学校からもサポート体制を敷いてもらっていますので、ご容赦ください。」と理解をお願いした。

 子供たちも、発作が起きても空元気で「ちょっと体調悪いから、今〜していてもらっていいかなー。ごめんねえ。」と伝えて早退していると、「大丈夫ですか!」「お身体お大事に!」「後は任せてください!」と言ってくれて、ちょっと家庭に問題がある子が「家に帰ってきていないです!」「あ、家の押し入れで寝ていました。」とかいうトラブルはあったけれど、子供同士でトラブったりすることは一回もなく、毎度「いい子に過ごしていましたよ!」と監督で入った先生達に言ってもらえるように過ごしてくれていた。

 当然、お年頃の学年を担当していたから、友達トラブルが皆無だったわけじゃないけれど、そういうのは他の先生に頼らずにすぐに私に相談してくれていたし、自立する時と私に甘える時とで切り替えが上手だった。「私がいる時に失敗したり叱られるようなことをするのは全然構わない。そういうトラブルと向き合うのもまた勉強だから、全然構わない。ただ、お願いしたいのは、私がいない時は他の先生達に『このクラスは凄いんだぞ』と思わせるような振る舞いをしてほしい。困ったことや悩んでいることは、必ず相談して。言いづらかったらお家の人伝いでもいい。いくら病気がちな先生でも、みんなの担任の先生として、君たちの味方でいたいと思ってる。」と伝えていて、そうしてくれていてほんとに助かった。

 いわゆるいじめアンケートでも困っていることはほとんど書かれていなかったし、あっても聞き取り調査は即実行して、すれ違いで起きたり、相性が悪くて起きたりしていることだったから、「全員と仲良しこよしのお友達になるのは無理だよね。先生だって苦手な人たくさんいるし。社会に出たら、苦手な人とも、チームでやらなきゃならない時がくるから、協力だけできればいい。お友達付き合いは無理にしなくていいから、無視したり避けたり陰口言ったりすることだけはやめよう。ただ、学級の仲間であることは1年間変わらない。困った時に助け合うことはできる力を身につけよう。」というのは大事にしていた。

 担任が頼りないからか、子供たちは自然と自立していって「こうします?」「やっときますか?」と提案してくれていたし、それでも私の教えを守って頑張ってくれていたので、11月に転院先で「今すぐ休職。何なら入院。」と言われても「年度末までやります。」と踏ん張って、がんばって、最後の方はマジで死に物狂いだったけど、最後の日に「いや〜。ほんと、みんなのお陰で先生やり続けられたよ。11月には入院しろって言われてたからさー。」と笑いながら言ったら「ええー! そんなに悪かったんですか!」と驚かれたけど、「まあそういうことなんで、来年度からいないから! がんばってね!」と言ったら泣かれました。主に男子に。私も初めて年度末に泣きました。


 途中、あの校長がいなかったら、病気持ちながら働き続けるのは無理だったな。と思いました。ユーモアがあって、憂鬱な校外学習もフォローしてくれていたし。それに、理解ある同僚のお陰で、かなり助かった。自分のクラスの子も、保護者の方々も、色々思うところはあったかもしれないけれど、見守ってくれたのが助かった。最後の年は自分のクラスが手がかからない代わりに、学級崩壊しているクラスのフォローに奔走していたような気もするけど。

 学校はトップの在り方でけっこう変わるなと思った経験でした。