私自身は、苦手な人がいたら、表向きは社交辞令を交わすだけにしておいています。

 自分からは積極的に陰口は言わない。「私から見た感じ、〜という人ですよ。」と、聞かれたら答えるけど。人から陰口を言われたら「え〜。そうなんすね〜。気をつけなきゃなー。」と流すタイプ。

 そして好きになったタイプ(人間的に)でも、交友関係を維持することが面倒に思うタイプなので、同じ職場でなくなったら交流は最低限にする。基本的に(めちゃくちゃ仲良かった初任のころの学年団の人とは、海外旅行まで一緒に行ったけど、今も交友関係が続いているわけじゃない。)人間関係が続かない。来るもの(基本)拒まず、去る者追わずって感じ。


 小学校は、社会生活を営む上で、適切な団体行動を送ることができるようにすることができる環境だと思います。

 不登校はそれができなくなる。でも、不登校のことがダメだって思うわけじゃない。不登校になったのなら、それはそれで、生活習慣を確立し(休職に入ってからダメダメな生活リズムな私が言っても説得力がないですが)、他の施設などで、同年代の子と交流する機会があればいいと思うんです。

 よくないかな、と思うのは、そういう機会を設けてあげないこと。

 起立性調節障害といった障害もあるから、どういう原因で不登校になっているのかハッキリさせてあげることが大切だと思う。

 これからの時代、どんどん、リモートでできる、複雑なコミュニケーションが必要な社会生活を送らなくても生きていける社会が確立していくかもしれない。でも、いつその時代が来るかはハッキリとしたものではない。

 だから、原因が起立性調節障害なのか、母子分離不安なのか、学校生活が合わないのか、いじめにあったのか、他の発達障害が原因か、などを知って、対策することが必要。

 私も、他人とのコミュニケーションで困ることが多いものだから、できたら引きこもった生活がしたいものなのですけれど。現代ではそういうことができない。リモートの仕事だって、完全に社会と断絶しながらできるようなものではないから、難しい。

 だから、人と上手く付き合う術を、身に付けなければ、やっていけないのが現代。

 そして、ストレス耐性も身に付けることができるのが、学校生活。

 よく、「◯さんとは〜というトラブルがあったから、同じクラスにして欲しくない。」という申し出を受けることがある。

 けど、そうやって苦手な人から上手く逃げる術を身に付けることができないまま、親が守り続けてあげることは良いことなのか? といえば、違うと思う。

 苦手だ、イヤなことするな、という人を相手にすることは、大人になってからもたくさんある。そんな問題に対して、親の保護の下で、問題解決能力が育まれるとは思えない。

 子供たちはたくさんの失敗や、理不尽と向き合って育つもの。不適切な言動から守るのは大人の役目。だから、子供を育てる上では、子供の前で汚い言葉に晒さないで欲しい。

 今時の子はYouTubeが大好き。でも、どのYouTuberも健全かといえば、そうではない。

 私は、コロナのせいで発生した「前向き給食」というシステムが、子供達には可哀想だと思い、リクエストを募って、動画や音楽を給食中に見せていました。

 だって、だんまりで食べ続けさせるなんて、しんどい。子供だから、黙ったままも難しい。なら、他に娯楽があれば、給食時間も楽しくなれる。苦手な食べ物と立ち向かっている子にも、しんどい時間だと思って欲しくない。食事中にテレビを見せるのはマナーとして悪いのは重々承知。そのことは子供達にも伝えて、保護者の方々にも説明しておく。グレーなやり方だから、管理職に何かつっこまれるかなと思ったけれど、給食中に教室にいきなり教頭が入ってきてどきっとしたこともあったけど、スルーしてもらえて助かった。(一応、始めた頃の校長には『うーん。グレーだけど・・・同じ学年の人が知ってたらいいんじゃない?』と言われた)

 動画を見せる時は、私が予め、ざっと確認して、OKならというものにしておいた。子供達にも、他の子達に悪い影響があるようなものはやめてね、と伝えた。

 これによって、色々なキャラクターや趣味が他の子に伝わり、友達関係を築くのにも貢献できたのは、副次効果として良かった。

 しかし、やはり苦手な子がいて困るということはある。

 だから、私は学級開きで毎年、子供たちに言います。

 「人にはそれぞれ得意不得意があり、性格もちがう。だから、好きだなと思う人もいれば、苦手だなと思う人も出てくる。それは、先生に対してもそうだと思う。好きな先生だな、苦手な先生だな、と思うのは当たり前。でも、忘れないで欲しいのは、自分自身も、他の人から、そういうふうに評価されているということ。だから、苦手だなと思う人と、無理に仲良くなってねと言わない。でも、だからといって、相手を嫌って陰口言ったり、仲間外れにしようとしたりするのは間違い。そうじゃなくて、良い距離感でのお付き合いを目指す。仲良くなるんじゃなくて、苦手だけど、同じクラスの仲間だから、困っていたら助けるけれど、仲良くはしなくていい。そういう関係を作れると、大人になったときの大きな武器になる。だから、人が傷つくような言動をしたら、先生は強く叱る。それは、やられた側もそうだけど、自分自身も、周りの子たちから「イヤな奴だ」と思われて、傷つくことになるから。でも、喧嘩はしてもいい。どっちも「これが正しいと思う」と思っていることで、言い合うのは、議論と言います。みんなはまだ子供だから、自分が正しいと思って、気持ちも大きくなって、強く相手を責めてしまうような喧嘩になってしまうかもしれない。でも、少しずつでいいから落ち着いて話し合うというスキルを身に付けたらいい。学校は失敗しても、なんとかなる。だから先生がいる。上手く話し合えない、と思ったら、先生の前で話し合おう。先生の前だと思えば、ちょっと考えがまとまると思うし、先生が必要だと思えば、アドバイスもできる。でも、最初はまず自分で解決しようと頑張ってみてほしい。問題を解決する力を身に付けるのもまた、学校で身に付けるための大切な力だから。悩んで、でも相手に上手く伝えることが難しいと思ったら、すぐに相談してほしい。どうしたらいいか、アドバイスするし、必要なら先生が一緒に解決できるように話し合うから。」

 といったことを、担当した学年の発達段階に応じた言い方で伝えています。

 こういう指導を最初にしておくと、手を出し合うようなトラブルを起こすことが、ほんとなくなる。ここ何年も、学級運営は落ち着いてできていました。

 子供って、ほんと素直で吸収力がすごいから、「そうしたらいいのか」と納得さえできたら、そのように行動してくれる。だから、子供同士でトラブルが発生しても、まずは自己解決を目指す。それができなかったら、私の前で話し合う。という流れができていたし、他害する子(ま、放課後でどうしているかわからないけれど)もいなかった。

 私は、「厳しいと思ったら、意外と優しい先生」とよく言われます。保護者の方のウワサでは、「厳しい先生」で、「メイ先生、ビシビシやってくださいねー!」と、陽気なタイプのお母さんからは言われがち。

 いつも表情筋が死んでいる(自閉症スペクトラムだから)から(でも、授業なんかでテンション上がったらイキイキし出す)、声が女性にしては低いから。だと思われる。

 厳しくするとこは厳しくして、でも緩めるところや行事では弾けて、といった感じで。

 そういう感じだから、繊細さんには怖いかも(と、自覚してからは、説教するときも気をつけるようにしている。)と思う。

 でも、おもしろいこと好きだったり、教室の規律がきちっとしていることを好む子には向いているんじゃないかなと思います。

 だから、私自身も、好まれるタイプと苦手に思われるタイプの子がいると思って、教員をしていました。

 そんな私の楽しみは、繊細さんだと思っていた子が、目立つような行動を取れたり、LDか?と思うくらい学習に難があった子がぐんと成績を伸ばしたり、気遣いのできる子たちに助けてもらったりしたとき。もっといえば、たくさんある。休職に入る前の最後の年は、ボロボロだった私に代わって、子供達が一生懸命にがんばって支えてくれていたことがとても印象的だった。早退しても、快く「大丈夫ですか?」「先生、お大事にね!」と言ってくれた。自分達で最低限、学級を回せるように仕組み作りもして、手助けが必要なことを依頼したら「大丈夫です。やっておきます。」と快く引き受けてくれた。だから、発熱(コロナの名残りで、熱があると出勤停止命令が下る。昔は38℃でも出勤してたけれど。)した時以外は全部出勤できた。子供達、そして理解を示して、何も言わずに見守ってくれた保護者の方々のおかげだと思う。

 そう思うと、人との繋がりって大事なんだなとも思える。

 一年(最後の年は繰り上がりだから二年)こっきりの関係だから、うまくやれるってのもあると思う。

 そこで、子供たちが私の指導で変容していく様を見ると、ほんと嬉しいなあと思います。

 だから、いまは子供と接することができなくて(先日、職場に書類提出しにいったとき、車越しに下校中の元教え子が満面の笑みで両手で手を振ってきた時は、「もう思春期なのに、相変わらず素直だなあ」と嬉しくなった)、エネルギー不足。

 早く動けるようになりたいなあ。