私がASDだから、考え方が極端なのかもしれません。

 人付き合いをとにかく構築したり、継続したりすることが苦手。

 ヤなところを感じてしまうと、すぐに関係を断ちたくなっちゃうんです。


〜同級生編〜

・Aくん
 高校時代は仲良くしてくれて、「一緒の委員会はいろーぜ!」と誘ってくれたり、卒アル担当? になった時は、やたらと私の写真を撮ってくれたりと構ってくれていました。

 お互いに他校に彼氏彼女がいたので、安心して付き合えていたのも良かったです。

 それが大学時代になると、彼はけっこう遠いところの専門学校に通うことになり、私も地元を離れた大学に通うことで、やはり疎遠に。

 それでも当時流行っていたSkypeで連絡をときどき取っていたのですが、だんだんメンヘラ化。

 「彼女がさ・・・半同棲だったんだけど、俺の通帳から金下ろして(うん十万)消えたんだよ・・・。」

 と悩みを打ち明けてきて、

 「それは弁護士とか警察案件じゃないの? だって勝手に金下ろされて取られてんじゃん。ちゃんと然るべきところに相談すべきだよ!」

 と訴えても、

 「でも、まだ好きなんだよ・・・泣。」

 と、デモデモ状態に。

 んな女だから、とっとと別の男を見つけて楽しくやっちゃってるだろーよ!! などと色々言ってはみたものの、でも〜のオンパレードで、呆れて見放しました。


・Bちゃん
 高校でやっとこさできた女友達の一人。強引な性格で、色々と連れ回しては新鮮な体験をさせてくれる人でした。当時、大学時代まで長く付き合うことになる彼氏ができるようになったのも、彼女が開催した合コン(彼女の幼馴染が私の写真を見て「メイちゃんかわいいから付き合いたいんだけど!」と、出来レース的な内容だった。しかし私はチャラい彼がどうしても合わず、同席していた性格良さげの感じの人とくっついた。)のおかげ。

 互いに気を遣わない関係だったのですが、地元を離れた私は颯爽と地味婚。その数年後、Bちゃんから「式を挙げるから、参加して欲しい。」と言われて、メチャ忙しい仕事の合間を縫う形で帰省。飛行機の搭乗時間の関係で式も全部参加できないという弾丸参列だったのですが、「ん?」となることが。

 それが、式のためだけに帰省したにも関わらず、車代がなかったんですよね。交通費でいうと、往復で安い便を使って三万くらい。電車賃なども含めたらもっとしますが、式に最後まで参加できなかったので、お見送りの際にいただくらしいお土産も、スタッフの方が並べているのを片目にしつつ帰るしかなかった。

 北海道の結婚式はたしかに会員制だけど、私、先に結婚しても特にお祝いもらってないし。車代も出さないってふつーなん? と疑問に思いつつ、その一年後くらいに、また別の友人Cちゃんの式にお呼ばれしました。

 誘われたら特に断らないタイプの私は、また忙しい合間を縫いつつも、今回は帰る便に余裕があったので、二次会まで参加できました。旧友といえど、人見知りしちゃう私に配慮し、大学時代まで付き合いのあったDくんの隣にしてもらうなど、席順にも配慮してもらい。そして、私の席にはきっちり車代として、飛行機代を調べたらしく、半額分のお金の封筒が置かれていました。

 やっぱ、車代くらい出すよなあ〜!? 式挙げてないにしろ、お祝いももらってないぞー? と、ちょっとケチぃなー。と思うところがあり、関係を断ちました。ま、距離があるので、特に関わることがないのですけど。帰省もほぼしないし。


・Eくん
 小、中学の同級生で、それまでは賢くて近くで一番偏差値の高い(著名人も多数いる)高校に入り、運動神経もよいから「神童」と呼ばれていた男。同じくFくんという幼馴染と仲が良く、各々大学で各地に散った後、Skypeで度々リモート飲み会をしていました。

 ぶっちゃけ、初恋のひと。告白もしたけど、「進路違うし、付き合いたいと思っているわけではないから。好きだったよーって言いたかっただけー。じゃ、互いにがんばろね!」で、進学するときにお別れしました。そんな彼は大学生になってから転落人生を送ることになりました。なぜか大学から一時間以上かかるようなところで一人暮らしを送っており、留年するという展開で、Fくんと一緒に「あの頃のお前はどこ行ったんだよ〜。」「俺もまさかこうなるとは思いもしなかったわ〜。」「結局、一番出世柱になったのメイじゃないか?」「3人の中ならそうかもしれんけど、小学の時の◯ちゃんなんて、外交官目指してるらしいよ〜。」「あいつ頭良かったもんな〜。」なんて言い合う仲になり、そして就職。

 Eくんも遅ればせながら、なんとか就職し、就職3年目くらいのときに「メイ、東京近いとこに住んでるんだろ? 出張があるんだけど、けっこう時間あってさー。東京観光しに行こうよ。」と、誘われました。

 近いと言っても、まあ時間はかかるけど。でも、別に行けなくもない(今もデイケアで東京行ってるし。)。なので、観光はほぼしたことなかったので、オッケーしました。

 しかし、「泊まり先もメイの部屋借りていー?」と言われ、「えー。うち、ワンルームで布団ないよ。」「同じベッドでいいじゃん。」と言われ、うーんどうなんだろ??? ま、恋人いるわけでもないし。と思って安易におっけーしました。

 観光自体は有意義だったのですが、やはり問題は夜。男と同じベッドはろくなことがない(セミダブルで広さは確保してあったんだけど。)。

 手ーを出そうとしてきたので、「(あんたのことが好きだったのは過去形で、いまはただの幼馴染だー)」と、寝たフリかまして交わしました。

 やっぱ男女の友情は成り立たないもんだ・・・。と思わせられました。無念。

 翌朝はしれっと「じゃ、お世話になりましたー。」と帰っていきましたね。ていうか出張だったんだから、ホテル代出てたんじゃ・・・横領でもしたか?


〜同期編〜

・Gさん
 私の同期交流が一切なくなった元凶です。私は地元大学で教員採用試験を受けるタイミングで、同じ自治体への教員採用試験を目指すグループに誘われて、グループでの教員採用試験対策に切磋琢磨していました。そうして試験をクリアし、同じく同期として5人くらいのグループでこちらに赴任。

 初任時代というのは、同期の横つながりが割と厚い。研修が多いから、研修後にご飯に行くなんてことも。

 しかし、同じ学校に配属することになったGさんは、ホント、世間知らず常識知らずな無責任人間だった。

 初任者になっても早々に担任をもちますが、教室に掲示するものを作成している際に、先輩教員からパソコンにかじりついて作成している姿を見られて、「あっはは。それじゃー使い辛いっしょ。そういうのは先輩からもらえばいいんだよー。」と笑い飛ばされ、その場で号泣しながら「精一杯がんばっているのに、馬鹿にしないでください!」とガチギレ。私も、一緒に来客対応してごらんと言われて、お茶を淹れようとしたところ、Gさんが急須の蓋をうっかり落として割ってしまったので、「あっはは。ばっかでーい。これ、私が片しとくから、そのままお茶淹れてや〜。」と笑い飛ばしたら、その半年後に「あの時、馬鹿にされたのほんと嫌だった。」と真顔で言われました。

 そんなことを真正面から言われることになったのも理由があり、一年近く経つ間に、同期との仲がどんどん険悪になっていったんですよね。

 冗談がわりと好きな私は年上先輩に可愛がられるようになりつつ(年上に可愛がられやすいのは昔から。今はもうおばちゃんだから可愛がらなければならない方)も、彼女は何したらキレるか分からない認定されて腫れ物に触るような扱いになり。

 私も私で、背筋を触られるのが弱点という(感覚過敏で、慣れた方の施術でないと整体も受けられない。夫にも触られるのダメ。)ものがあるのですが、Gさんとの席順が悪くて。背中をツンツンつついて「ねぇメイちゃ〜ん」と話しかける癖があったんです。仕事に集中しているときにそれやられたらホントうざくて。初任だから、色々な先輩にすぐ質問できるように、なるべく職員室で仕事するようにしていたのですけど。Gさんは教室ヒッキー(最初の方でいじられたのが原因だろう)タイプだったんですけど、職員会議後に流れでそのまま作業に入る時なんかザラにあって、その際にやられてました。最初は「もー。背中弱いからやめてー?」と軽く流すようにしていましたが、話を聞かないもんで、ずーっとツンツンしてくんですよね。だから「やめてって言ってんでしょ! 背中触られるの、ほんと苦手なんだって!」と強めに言ったことがあるのですが・・・仲の悪い私たちを見兼ねた女先輩達が、余計なお世話で「2人でちゃんと話し合いなー?」と言ってきて。で、なぜか居酒屋で話し合うことに。

 そこで、急須の蓋事件のときの私のセリフがほんとイヤだったとか、叱られたのが怖かったとか言われて。

 いや〜。口は悪かったかもしれんけど、フォローしてやったし、学習能力がないからキツくあたっただけなんだが? と、自分がしてきたことは棚上げ〜。私は特に自分がされたことについて彼女に言わなかったけど。言っても、この人まためんどくさいこと言い出しそうだなと思ったので・・・。

 「あー。じゃあ、ごめんね? 口汚いのは生まれつきなんだけど、よくないよね。気をつけるよー。」と、腑に落ちないながらも謝罪したら、ぱっと顔を明るくしたGさんは「じゃあ、仲直りってことで! 今度、うちに遊びに来て、鍋パしよ?」とか言い出す距離感無し女・・・。

 なんでこんな相性が悪いってことが分かりきってる一年間を送っているのに、適度な距離感じゃなくて距離を詰めようとしてくんの??

 と思い、「はは〜。まあ、機会があればね〜。」と、適当に流しました。

 Gさんが「やべー女」と思ったエピソードはてんこ盛りでして。

 日々、成績づけをろくにしていないおろか、テストもやっといて丸つけもせずに棚にぶっ込んだままという状態で、「なんとなく」で通知表を作っていたとか。(背筋ぞわっとした。)

 私も初めての通知表を作るときは、指導教官の指示のもとで作成していたのですけど、そのやり方が手抜き(先輩達はふつーにやっているやり方で、学年の方々に見てもらってもオッケーもらっていた)だったことで校長からお叱りを受けることはありました。といっても右も左もよう分からん状態で指導教官にこうしろと言われたらそうするしかないじゃん、ということを、ちょーーーオブラートに包んで伝えたら、更にキレられましたが。学年の方々にはめっちゃ謝られました。ま、そんな風に一度だけキレられたけど、おもしろい校長だったから基本的には私は好きでしたけどね。そこだけ理不尽だと思っただけで。

 結婚するときには、色々な書類を事務さんに用意してもらい、作成しなければならないところ、会議で「結婚しました〜⭐️」と事後報告をかまして事務さんをブチギレさせたとか。

 2年目入って半ばくらいに妊娠し、中途半端に出勤したり休んだりを繰り返しつつ、やはり成績づけを全くしないまま半年以上そんな感じで過ごしていたので、半ば教務が担任になっていたりとか。療養休暇と産休を使ってくれたら講師を早めに依頼できるけど、なぜかそうしないという。やっぱり通知表は全部他人任せ。やっと産休に入る、というタイミングが参観日の前日。つまり、初めてやってくる講師に参観日をぶん投げするというパワープレイをかましたわけです。育休に入っても、時々書類を出しに来たりする際は配偶者任せで、本人は現れないという。

 そして最初の方で語った、地元同期グループですが、私の同期もくっついてきたもので、一緒にご飯に行くようになって、地元同期の子とGさんが仲良くなり。Gさんが苦手な私は同期会に行かなくなり。更にはGさん、同じ学校の同期である私を差し置いて、披露宴にそちらの同期を誘うという(誘われてもお断りしていたけど)。

 もうやりたい放題でしたね・・・。同期がそんなんだったから、初任や若手がやる仕事のしわ寄せがこっちに来ていましたし。私が他の同期と縁を切ることになった元凶だし。

 相対的にみて、「メイさんの方がいい子」と思われたのは良いかもしれませんが、代わりに色々な仕事をふっかけられるようになりましたから・・・。同期ガチャもあるもんだ。赴任校に初訪問時、手土産を持つ私に「えっ。菓子折りって必要なの!?」「うーん。これからお世話になりますーだから、そういうもんじゃないの? わかんないけど。」「どうしよー。もう行かなきゃだよね!? どうしたらいいー!?」「(ええ・・・。)じゃあ、コレ、2人からってことにすればいいんじゃない?」「いいの? ありがとー!」で、金出してくれなかった時点でもうアウトでしたね。


 人間関係ってほんと、めんどくせー!