悩みというかなんというか、愚痴です。

 ASDな私はコミュ力に欠けています。ただ、不平不満は口に出せるタイプ。

 それでも「できる(やってくれる)」人への負担が押し寄せるのが教育現場。

 かなり辛口で愚痴をうじうじ吐いていくので、キツイ言葉などが苦手な方はスルーしてください。


・若手時代


 初任を経て2年目。まだまだ拙いところがたくさんある当時の私。社会人10年くらいやってからの教員になって5年目?(そんなになかったかも)な男性主任と、高校の体育教師から身体を壊して臨時免許で講師としてやってきた30代ぐらいの女性と組みました。


 主任の仕事には色々あるのですが、教科書会社の登録という謎の事務作業とか、学年の教材の予算管理とか。それを「メイさん、やっといてくれる〜?」と仕事をふってきたんですね。「えっ。これ主任の仕事・・・。」と思ったんですけど、男性主任の無茶振りは続き。仕事は定時上がり(社会人サークル活動に没頭)で、講師女性も身体が本調子ではないからだいたい定時。学年の仕事の皺寄せが2年目の私に押し寄せる。更に、主任のクラスには放置&ネグレクト&ADHD(当時の私はまだ特別支援について知識が少なくてよくわからなかったけれど、時々暴れてしまう子という認識)のお子さんがおり、残業していると、真っ暗な校庭に出没するんです。で、その子を捕獲して家まで送り届けては主任に報告するけれど、たいして対策することもなく。今ならすぐに児童相談所に相談する案件だというのは分かります。更に、男性主任は教室に自分の鞄を持っていく癖があったのですが、とある日に「俺の財布から二万なくなってんだよね・・・多分、あの子の仕業だわ。体育のときいなかったし。」「(いないの放置してたの!?)それまずいっすよ。ちゃんと校長先生に報告しましょうよ。」と訴えるも、事を大きくしたくない(自分のミスを露呈したくない)男性主任は「内緒にしといて。」と。


 仕事散々押し付けられるわ(もちろん経験不足だし過労だしで計算ミス(これはよく知らずに使った業者が評判悪く、対応ミスによるものだということが分かったけど))が出たりして散々だった。更に言うと、飲み会でベロベロになった時に家まで(飲屋街から近いところに住んでいた)送ってくれたりしていたのですが、何を勘違いしたかデートに誘われ(と気づいたのは、「ご飯行こう」と言われて行った先がメルヘンチックなレストランだったから。)、「付き合えたらいいなと思っているんだけど。」と告白された(年齢差一回り違う)こと。おめーの仕事ぶりに迷惑している私が好意なんかもつわけねーだろ!!



 初めて6年生を受け持った時。5年生からの繰り上がり学年で、子育て事勿れ主任に、自由奔放独裁者タイプ中堅の2人に挟まれました。

 5年生時は平和そのもの。児童が落ち着いており、学級運営もそこそこちゃんとできていた。

 でも、初めての6年生ということでプレッシャーましまし。そんな中、脅威のクラス編成がスタート。

 「転校生で、訳アリの子をうちに入れるから、あとは楽な子にしてほしいな〜。」と主任。

 「じゃ、俺のところにこの子と、この子受け持つ(たいして問題ないけど多少手の掛かる子)から、メイ先生のとこにこの子とこの子とこの子・・・」

 「ちょ、ちょっと待ってください。私、6年生初めてで不安です。なのに、◯さんを入れるんですか? たぶん、私、扱い切れませんよ? 他の子も、ご家庭が放任気味でトラブル起こしていると評判のお子さんだし・・・。」

 「ん〜? まあメイさんならなんとかなるっしょ!(◯くん達はもともと中堅先生のところにいた。)」

 と、恐怖の自由奔放ドラフト会議が行われたわけなんですね。

 トラブルメーカーな子達が寄せ集められたものだから、もうてんやわんや。朝からおぇっとえずき、毎晩帰ってからは「わぁーーー!!」と叫びながらシャワーを浴びる生活。

 おまけに「問題ないだろう。」と、前年度も受け持っていた子まで、自作自演の盗難事件を勃発させたもんだから、もう「だれか私をころしてくれ・・・。」と毎日思っていました。

 当時の校長が、前校長からも「いや〜。大変な人だからね。気をつけなよー。」と言われるほどのポンコツ。私がちゃんと子供と向き合う対応をしたがっても、中途半端に首突っ込んで制止してきたりと邪魔をするばかり。

 それでいて、他の人たちは知らんぷり〜。自分のクラスが落ち着いていればいいや〜。とばかりのスタンス。

 最終的には、卒業するときには、盗難事件の件も本人が家庭内で認めたようで、保護者からの連絡もぱたりとやみました。そして保護者からも遠回しに謝罪(学校に乗り込んで「学年全員集めろ!」と訴え、その気迫に負けた校長によって集められた学年の子供たちに「警察に突き出すぞ!」とまで脅迫じみたことを言い出した。結果、裏調査から本人の自作自演と判明し、クラス内で「誰がやったのか分かりました。でも、誰なのかは言えません。その子がこれからの学校生活を送る上で、辛い気持ちを抱えることになるからです。その子にも事情があったのでしょう。だから皆さんの心に秘めておいてあげてください。」と訴えたものの、「俺ら犯罪者扱いされたんすよ!? 納得できねぇよ! なあみんな!」みたいに◯くんが周りを煽る(だからいきり立った保護者を子供達の前に立たせない方が良かったんだよ・・・。)もんで、「私からその子に代わって謝ります。許してあげてください。」と訴えたものの、不信感が拭えずのようでした。)があったものの、「色々とご迷惑をおかけしました。」という遠回しなもので、「色々ってなんでしたっけ〜?」と問い詰めたくなりましたね。

 最終的には卒業時に◯くんも、私の気持ちを理解してくれて謝罪と感謝の言葉を伝えてくれましたけども。誰かがクラスを飛び出したり、ボイコットしたり、授業を聞かないとかいう学習規律が崩れなかっただけマシで、もう地獄かと思うような一年でした。問題ある子達も、それぞれ文句は言うけど、なんやかんや頼ってくれる時は頼ってくれていたしな・・・。他の目立たないようにしてくれていた子たちに申し訳ないなと思いました。問題行動の多い子たちばかりに手を焼いてしまったので。

 そんな環境になることは目に見えていたというのに、ろくでもないドラフト会議を開催した主任と中堅先輩と守ってくれない校長には恨みしかないけどな! なのに私が転勤してから、「久々に学年飲みしない〜?」なんて調子こいて誘ってくる時があったもんだから、「いま精神病んで休みの日はゆっくり休みたいんで。」とピシャリと交流を断ちました。


・女ばかりのイライラ生活

 大規模校で、2年生を受け持った時。

 初任の男の子、小さいお子さんがいるママ先生、小さいお子さんがいる+不妊治療のママ先生、やる気ナッシングおばちゃん主任のチーム。

 これが私に「ガールズトークだめ」と思わせたチームでした。

 学年会議では、必ずといっていいほど話が脱線する。当時は忙しい校務分掌をもっているなどの理由でとにかく忙しい(後述)私は、「早く終わらせたい・・・。」とばかり。話がだらだらしすぎていて、「はい、じゃあ次の議題なんでしたっけ?」と打ち切ることも。

 そんな私に、不妊治療ママが「メイちゃんさ〜、イライラしてたっしょ?」と半笑いで逆撫でするようなことを言ってくる。

 ええイライラしますよ。だって不妊治療ママ、あなた、当日にいきなり「子供が熱出した」「不妊治療で体調悪い」だのなんだので休みまくるから、私が代わって(おばちゃん主任はおっとり刀で定時ぎりぎりにやってくる。主任なんだからチームに責任もてよ! 主任手当少ないのは知ってるけど!)朝から自習計画を作って、自分のクラスとそちらのクラスの連絡帳チェックだの宿題を捌いたりだの、自習に必要なプリント印刷するだの(ていうかそういうこと繰り返しているなら用意しとけー。)テストの丸つけしてやるだのなんだのしてやってんだから。一言も「やってあげましたよ。」なんて言わなかったけれど、謝りも感謝もしてくれない人でしたからね。不妊治療もお子さんトラブルも仕方ないのかもしれないけどさ、周囲への配慮てのはないんかい?

 それでいて初任者男子はわりとポンコツ気味なので(初任者指導がちゃんと指導していないともいう)、しゃーなしに主任に代わって(お子さんから手ー離れてるだろうが💢私は副主任でもなんでもないただの先輩だ💢)教室環境の整備の手伝いや、成績づけだの所見や通知表作成だのなんだののやり方を指南し、授業参観や研究授業前には模擬授業を行って(「不安ですぅ・・・。」と言われるから)、帰りはセコムの関係で制限のある11時ごろになることも頻繁。9時ごろの花金だったら飲みに行くことも多々あり(陰鬱そうな顔していたら私から誘い、後輩から「今日行きませんか・・・。」と誘われることもあったのでパワハラではない。と思う。)。

 そしてママ先生は厳しくできない人で、学級が若干崩壊しているという。支援員が開始2ヶ月でつくようになるってドユコト?

 不妊治療ママは、同じ学校にいる別の妊活していた方が妊娠した際には、「なんで不妊治療がんばってる私よりあのオバさんが先に妊娠してんのよ!」と毒を吐き、その方が転出される際の送別会では「写真撮るのにあのオバさん邪魔なんですけど〜!」と、周りにも聞こえるように言っていた(この時は既に薬でボロボロだったため、私は不参加。他の人から聞いた。)という、とんでも自己中心女でした。ちゃん付けやめろ。あんたには借りを返してもらった覚えがない。しかも年上だろうが同期レベルの立場だろ。(私より経験年数だと下)さん付けしろ。


・無責任で去っては戻る謎の人物

 年に一度、各学年単位で研究授業というのをしなければならないです。そして、経験年数によって、何本か研究授業をしなくてはならないタイミングがあります。

 ちょい年上の女性で、話し方が勘に障るタイプ(おっとり系とか、鼻でつくような声色が苦手)の方。でも、同じ学年を組んだ当初は、そこまで苦手意識をもっていなかった。

 組んで早々に、「誰が学年の研究授業をやるか」と決めなければならないのですが、その方と私は同期で一本研究授業をしなくてはならない。

 「私、道徳やりたいんですよね〜。」と先制パンチ(ちょっとだけ得意分野というのもあるし、比較的、指導案を作りやすい。学年単位は他の先生とも協力して作らなければなので、私は苦手。)すると、「あ、じゃー私が研究授業しまーす。」と気軽に引き受けてくれました。

 他に研究授業をもたなければならない人がいなかったので、どっちになるやらとヒヤヒヤしたものの、気軽に引き受けてくれてラッキーと思ったのも束の間。

 学級開きがスタートしてからひと月もせずに休みがちになり、なんでかっていうと、遠方の実家の方に住んでいる兄弟が鬱病で大変だからと週末になる度に帰省して支援していたとか。

 で、それが段々と負担になって、自分まで鬱病になってきたと。

 そして、ろくな引き継ぎもせず、2ヶ月経たずとして療養休暇に入り、去っていったと・・・。

 なんじゃそりゃなのが、「研究授業、メイ先生やってくれる?」と学年から押し付けられたこと。いやいや。だって初任の子と、代わりに入らざるを得なくなった教務と、ベテラン先生と、若手の子と、私でしょ? 教務と初任の子を外しても、ベテラン先生と若手の子がいるじゃない! 私は既に道徳で一本やること決まってんだって!

 と拒否ったものの、「お願い〜。」と言われ、なしくずし的にやらされました。

 当時、既に精神疾患の治療を始めていて、服薬もして通院もしているような人だったんですけど私?

 それでいて叩き台の指導案を作れば、根本からNGを突きつけるような指摘ばかりしてくるもんだから(ていうか苦手教科だから避けたかったのもある)、「私にどうしろってんですか! そもそも私の責任じゃないでしょ! 文句あるなら別の方がやればいい! 私には荷が重いです!!」とぎゃーとパニック発作を起こして泣き暴れました。

 なんで2本も研究授業を抱えなきゃならんのだ・・・他にもできる人はいるってのに。「メイ先生ならやれるっしょ。」て、みんな思いすぎ。精神疾患で通院中で投薬治療してます〜てのはちゃんと伝えてんのに。

 ぎゃーすか喚いたけれども、研究授業者の使命からは外されず。指導案作成の負担はちょっと多めに周りに負担を分配し直してもらったものの、腑に落ちない話。翌年には戻ってきた無責任先生から、とくに謝罪もされなかったし。だから余計に苦手意識をもつようになりました。


 まあ、主にこういった同僚とのトラブルのせいで、どんどん精神的におかしくなっていって、パニック発作も頻繁に起きるようになり、休職に入る最後の年なんかは最初から合理的配慮として、午後に専科やサポートの先生が配当されるように配慮されて通院しやすく、また力尽きて発作が激しくなる前に帰れるようにしてもらうといった対応をしてもらっていました。

 同じ学年の方々やサポートしてもらう方々にはきちんと礼儀と感謝をもとうと、度々差し入れを行い、不意に担当の人以外に教室に入ってもらうことになったときは翌日にはお菓子を差し入れるようにしていました。

 というか、なんで私、労災扱いじゃないんだろうなあ・・・原因が職場環境によるものなんだけどな・・・。

 あとはとんでもないトラブルメーカー男性教員と組んだことで(毎年、教育委員会が絡むor絡みかけるレベルのトラブルを起こす人。なんならニュース沙汰になりそうな内容。)ストレスマッハになり、衝動的に腕をギコギコと切ってしまう自傷行為によって夜間救急で四針縫うことになるという自殺未遂がありました。「あと少しで太い血管に到達していましたよ。やめてください。」と淡々と医師に言われ、精神的にボロボロな私は無気力な心で泣きながら「死ぬのだけはやめてくれ! 辛いなら辞めていいから!」と縋る夫にもぼーっとした無感情な気持ちでしか受け止められませんでした。彼については過去にも記事にしているので、もう書くのがしんどいのでやめときます。


 そこから夫には「仕事休んでくれ・・・。」と言われ続けたものの、「だって休職なんかしたら私ダメ人間まっしぐら・・・。(現にそうなっているけど、病むばかりだった当時に比べたら安心できるからそのままでもいいと言われている。)」「中途半端なタイミングで休んだら周りに迷惑かける・・・。」と訴えたものの、その2年後くらいに病院を変えたことをきっかけに「まずいです。すぐに休職してください。なんなら入院した方がいい。」とまで言われたものだから、『まあ、こんな中途半端な働き方しかできないなら、いない方がいいか・・・。』と思い、「じゃあ、せめて年度末までやってからにします。」と、休職に至ったわけですね。

 ほんと、組む学年のメンバーによって、精神衛生が変化すると思いました。最後のボロボロになった2年間は、ベテランで私のことを理解してくれて、すごいサポートしてくれる方が(いつも冷静かつ優しく穏和なので超尊敬してる)(「今日天気悪いから調子良くないんじゃない? 早退する?」と、偏頭痛のせいか体調崩しがちなタイミングも把握してくれている。)、たぶん私のために校長(当時の校長は私のことをかなり気にかけてくれていて、私のために校長室を休憩場所にし、毛布とクッションの専用お休みグッズも用意してくれていた。だから最後の年はサポート体制も厚かったのだと思う。)が引き続き組ませてくれたんじゃなかろうか(自分から一緒に組ませて欲しいとは言ってないけど)と思っています。ベテラン先生がいなけりゃ、最後の年は乗り切れなかったであろう・・・。

 とにかく、人間関係て大事。なのにASDな私はトコトン向いてないのかもと思う。でも子供に教えたり、保護者の方に頼られたりするのは嬉しい。だから複雑。ちゃんと復帰できるんかな・・・。